せいしゅん日記 過去の記録 〜2004年 12月〜
 2004/12/31
年越し蕎麦を長男夫婦に再度教えながら打つ。『これだったら楽だから 家に帰っても打てる』?どうぞおやりになって下さい。
午後、〔おはなや・ののさま、の真壁さん〕夫妻と〔ふくおさ・大高木〕さんの両者が そば粉を持ちに来て、又〔そんみん・堀〕さんが 蕎麦打ちに出掛けてくる。 私は畑に行っておせち料理で使う 人参、里芋、八頭、牛蒡を掘り出してきて 水道で洗う。
5時過ぎに弟夫婦も合流して年取り。雪がドンドンと降って大雪、大変な大雪です。

手は冷たくないと手袋もはめずに、久し振りに雪かきが出来たと大喜び


 2004/12/30
午前中、10割蕎麦打ちを長男夫婦に教えながら作業、12時30分過ぎまで掛かって70人前を打つ。午後はその打った年越し蕎麦とお歳暮を持ってお世話になった方に配り歩く。併せて借りている農地の地主さんに賃料の支払いに歩く。一年お世話になっていても話をしている時間が取れていなかったので 積もる話がいっぱい。立ち話をしているだけでも時間があっという間に過ぎてしまいます。日頃のご無沙汰をお詫びします。

「捏ね」は もう任せて貰っても大丈夫と豪語している。誰に似たのかな


 2004/12/29
寒い朝、朝7時30分過ぎから雪が降り出す。 松原さんがほっとステイ絡みで次世代支援をしていく件で打ち合わせに事務所に来る。丁度大高木さんも顔を出し、12時30分過ぎまで 話し合う。
午後は住宅横の作業場に 新たな棚を取り付ける作業を行う。
夕方神奈川県平塚在住の長男が帰省。
新潟県山古志村の星野さんから贈り物が届いた。カグラナンバンの醤油漬けと切り餅と野菜の粕漬けです。大きな被害に遭っている上で、ここまでして頂くでは申し訳ないです。お電話をした所、長岡のイベントに参加し、売ろうと思っていたのですが中止になってしまったので 食べてみて下さいと云われて 頭にガーンと一撃を覚える。みんな一生懸命頑張っているのです。

『寒ざらし蕎麦』の作業風景を取材したいと東京のテレビ局からメールが入る。どうぞ、否是非に

凍結防止で出しっ放なしにしていた水道の蛇口に奇妙なシャボン玉


 2004/12/28
今朝も−6度。上田市塩田へ先日亡くなった方の遺族の方の家に行き、相続問題を話す。
帰りに 丸子町の〔ののさま・真壁秀郎〕さんのお店に寄り、来年の蕎麦の予定打ち合わせ。
午前中、伊藤朝子さんが留守に来て、今期に行った「カボチャの種採り」の出荷代金を届けて呉れていた。 得られた代金は108,160円。 以前 当『せいしゅん日記』10/9で紹介している様に 『末端価格で500万円になる代物』なのだったのですが、選別したら出荷収量が落ちてしまい、これ程にならなくても 300万円位は有るのに これだけです。 ただ作って(種取りでなく普通に作る事)売っても、『カボチャ1個200円』で10万円、300円だったら15万円にもなるのに これではあんまりです。 だから百姓はヤル人が居なくなってしまうのです。おかしいですよ!『誰が儲けているのか、百姓からやる気を奪ってはいけない』。

餅つき。間違いなく『もち肌』、『暖かくて気持ちいい』と 思わず頬ずり

餅つき。ふかしの後湯で山ウドの塩出しします。農家の知恵といえるかな


 2004/12/27
−6度。午後1時15分、大高木さんと長野県上小地方事務所へ行き、ロビーで蓼科ビーナス農場の吉澤さんと待ち合わせし、2階の総務部企画振興係に伺う。 県の直接補助金制度についての話し合いをする。 『信州・桃源郷街道』として計画する事で 申請が受けて頂けるとの認識が得られた。年が変わったら申請の準備を進めて行きます。 
3時15分、グランピアの荒井さんの所へ 頼まれていた餅米5sとそば粉5sを届けると そこに信州せいしゅん村の名刺を持つ、〔自称応援団長・武井〕さんが居合わせ、吉澤さんに紹介。
荒井さんにも紹介すると以前同じ番組で テレビに出たことが有るのが判り、『世間は狭いね』と。

餅つき。キビ餅用のキビ。前の晩から水に浸し、蒸す時に加える。3割入れ

餅つき。我が家では搗いたお餅を伸さずに、お餅を型に取り手際よくラップ


 2004/12/26
7時30分に急に雪が降り出す。天気予報では晴れだったので 慌てて畑に行ってシートやパイプ類を片付ける。 朝から「餅つき」の準備をしていて、帰宅後直ちに「餅つき」に取り掛かり1時過ぎて7臼を搗いて終了。慌ただしく昼食を済ませ「後片づけ」。 3時過ぎに叔父さんが『正月床の間に飾ってくれ』と南天の沢山実が付いた木を持ってきて呉れ、丁度 『お茶』となる。

雪が降ってきた事に気がつき、慌てて資材置き場の片づけに出掛ける

餅つき。『蒸籠で蒸かし』の様な強い火力が欲しい時は 外で火を焚く


 2004/12/25
朝から資材置き場の 土手の藪の切り払い。イバラだらけの土手が長さ80bもあるので一仕事。
親父さんが 手を出してくれたので大助かり。12時30分に終わる。午後はそれを田圃へ持って行き、火を焚きつける。これは灰にして田圃へ撒き散らかします予定なので しっかりと燃やします。
家や畑に置いておいた鉄屑を廃品業者に持って行く。800sほどの重量だったが 今は鉄屑を買い取ってくれるので 廃タイヤ等の廃材と差し引きしてくれて 1208円を払って足りてしまった。

噴煙が立ち上る浅間山から 満月が上がってきていたので思わずパチリ

膝の上で 甘え上手な我が家の飼い猫『シナモン』君。悩みは『太め』


 2004/12/24
−7度。この冬1番の寒さ。昨日に引き続き 資材置き場の片づけ作業。使える物は全て運び出し、残された物は廃棄処分する物だけです。これを処理するのも一仕事。
長野県の 緒団体に対する直接補助金支給制度が 来年度も有ると云うことで その申請の検討をする為、大高木さんと吉澤さんに集まって頂き、『桃源郷街道』の具体的な打ち合わせ。県からの支援を頂きたいので 手続きを進めていこうと 今年中に県へ出向く予定にする。 今日はクリスマス。手作りケーキで紅茶を飲む

我が家の手作りケーキ。隠し味が判らないでしょうね、画像だけでは

残った生クリームを 『勿体ない』と押し出して デコレーション追加


 2004/12/23
今年限りで返却する資材置き場の土地の 片づけ作業を女房と午前中行う。片付けは使える物を仕分けしながら 2カ所に分けてトラックに積み込み運びます。取り敢えず一台。
午後は『信州・桃源郷街道』推進会議が丸子町の文化会館で 1時30分から4時まで行う。鹿教湯温泉から来た旅館経営の斉藤さんが積極的に発言して呉れた。
夜、区の常会が7時から開かれ、区長報告が1時間、その後新役員を選出して9時終了。

信州・桃源郷街道の推進会議、ケータイナビの活用法を再考察する


 2004/12/22
13時30分、小学校学校運営協議会が開催される。型通りの学校側から説明のあった後、教育委員長の松原さんから 『地域社会と子供の関わりについて』と言う提案がなされ、その議論を1時間の上行う。学校側は取り組む時間が無いという理由で この提案を拒みたいようだったが 協議会の各委員は 積極的に活動していきたいと 発言が次々と出され、学校とPTAの両者で調整しますとなった。今までに何回となく 私が発言して来た事が 今回は漸く具体化されてるようです。 
精米所に出してあった白米と 開発公社から蕎麦の打ち粉受領。昨日出来上がった「藁たたき」1個を井出牧場さんに届ける。

年に2回開かれている『小学校学校運営協議会』。学校も変わる!

『地域社会との連帯・現状の問題点』と題され、問題提起された


 2004/12/21
昨日、途中まで作った藁細工で使う「藁たたき」の仕上げ作業。削り跡を滑らかにする作業ですが 昨日できた手の平のまめが 痛くて仕方ない。 どうにかこうにか仕上げて、その後玄蕎麦用の「フルイ」を作る。
玄蕎麦を篩うのに丁度いい目の「フルイ」が無いので フナ池の水の落とし口で フナの逃げ出し防止で使っていたステンレス金網で 不要になっていた物を転用して作る。「藁たたき」に予定していた欅は 重くて駄目だったのでヒバ材で作り、 その欅は看板用にする為に 製材所へ持って行き製材。自然乾燥する為に倉庫に入れる。

有る方が良い。百姓は沢山の『フルイ』を上手に使って 実類を選別

鑿(ノミ)の柄の頭部分を 手の平で押さないと削れないので「まめ」が!


 2004/12/20
+4℃、今朝も暖かい。雪が降らなくてスキー場は悲鳴どころでは無くなって来ています。
昨日の交流会の新聞記事を見て、村内の農家から玄蕎麦を買って欲しいと連絡が入り、仕入れに伺う。嬉しいことですが 80歳の老夫婦に 頑張ってと私が激励されてしまった。
午後、『藁たたき』を作りに 〔とうりょう・中川〕さんの仕事場に出掛けて行き 取り掛かる。
5時に 桃源郷街道の蓼科ビーナス農場の吉澤さんが見える。鹿の薫製を届けて呉れ、『立科町では『里の観光組織』を立ち上げて 活動を始めました』と 報告して頂く。

昨日おこなわれた 『ほっとステイ』交流会が 新聞に載っていた

『藁たたき』を作る。これでこの冬は沢山修行をして上手になるぞ?


 2004/12/19
+3℃。今日は『ほっとステイ受け入れ家庭交流会』。 朝8時30分から〔そんみん・伊藤裕信〕さん、〔ふくおさ・大高木〕さん、〔がくじん、堀邦昌〕さんが来て、今日食べる蕎麦打ち。
11時15分、中央公民館へ出掛けると 時間前なのに何人も来ていて慌ててしまいます。
50家庭60人ほどの皆さんにお集まり頂けた。今年の結果と来年の予定、注意事項の確認をして、その後白樺湖の亀屋ホテル支配人〔しはいにん・平岡〕さんにも挨拶をして頂く。
昼食では蕎麦打ちの実演と打ち立ての蕎麦を出す。ビデオを見て貰い2時に解散。後片づけをして 我々の昼食は3時過ぎから、終わったら4時過ぎ。その後白樺湖の亀屋ホテルさんにパネルを届けに行く。帰り道は雪がザンザンと降っていた。明日はこの地は大雪かな。

夜8時、上原久寿さんが来る。鹿肉の薫製処理について意見交換。明日試食になります。

来年度から『食文化体験』を行い 夜8時にピックアップ。真剣ですよ

丸子有線テレビが制作し、全国で放映中の1時間番組のビデオ鑑賞


 2004/12/18
−4℃。7時30分から『我家我家ファーム』の スイートコーン畑の雑草に火を放つ。まるで『焼き畑』、このあと〔だんちょう、掛川兼司〕さんがトラクターで耕起。来年ここには蕎麦を。
9時に隣町の長門町デイサービスセンター『いこい』に 10割蕎麦打ち交流会に出かける。
〔こいみそや・安部さん〕の奥さんが ここに勤務されている縁で訪問する事になったのです。
45食を打って 通所者と一緒の昼食。歌も出てとても賑やかだった。午後は安部さんが三味線を仲間と弾いてくれるそうです。帰ってきて昨日のトラクター作業。今年はこれで完。

自然に帰る力がまだ健在、放っておくと草だらけ。焼き畑をする始末

車椅子の方々に囲まれ、『昔は蕎麦を打てねーと嫁に行けなかった』

矢張り交流が大事、話が弾むと 皆さん生き生きとして来るのが判る!


 2004/12/17
12時にイオン労働組合の末吉、山本、安藤氏が 隔月発行季刊誌『フェニックス』を届けに来て呉れる。今年の新蕎麦を打ってお昼。野菜共々 美味しかったでしょう。 記事は良く内容を捕らえていて 出色の出来。 しかも本の半分以上のページを使っていて驚いてしまった。
お帰りになった後、ゴボウの種を蒔いた田圃のマルチを取り外す。明日はここのトラクター作業。
夜7時から『班常会』が開かれる。従来の我が『三島班』28軒に 3軒の新世帯が加わった。
来年から3年任期の『水利委員』を引き受ける事になった。水管理は結構気を遣う仕事です。

わざわざ届けて頂いた皆さんと証拠写真(笑)、年が変わっても出掛けてね

届けて頂いた『Phoenix(フェニックス)263号』。ここに掲載するのは立派!

こんな活字が踊っている!『モノを提供するだけのスーパーはもう要らない』


 2004/12/16
初七日。10時に出掛け、2時15分帰宅。 2時30分からトラクター作業。パラパラ雨が夕方から降り出し、尻が濡れ始めたら丁度暗くなった。 
夜7時に 蓼科ビーナス農場の吉澤さんが『信州・桃源郷街道』の打ち合わせに来る。 農場の有る立科町では 会員の竹花さんを中心に 『里の観光組織』を立ち上げる動きを始めて、準備会を行い、『近々発足会をやります』と話される。青木村に次いで、新たな動きが始まります。良いことですね!

蓼科ビーナス農場吉澤さん語録。『軽井沢の先に桃源郷が有るんだよ』


 2004/12/15
午前中、19日に行われる『ほっとステイ受け入れ家庭交流会』の 出欠席の名簿を作る。
午後は諸事情により 遅れていたトラクター作業。 ところが3時過ぎ、今度は他のおじさんが肺炎で 救急車で運ばれるので来て欲しいと連絡が入る。病院に駆けつけ、立ち会って帰宅は6時。それでも症状は重くなくて一安心。 7時に大高木さんが 19日の交流会に受け入れ家庭の 出欠確認作業に来る。9時まで掛かり終わり。45名の参加が有ります。

大豆『タママサリ』の跡地に来年はジャガイモ。脇に堆肥が寝ているよ


 2004/12/14
今日も一日中 叔母さん宅へ お葬式の後かたづけ。仮火葬許可証、香典返しを宅配手配。近くに住んでいる方へはお届けに上がる。
夜7時30分、松原邦彦教育委員長さん宅へ 伊藤裕信小学校PTA会長さんと教育問題の件で伺う。教育委員で牧場経営の井出守雄さんも見える。皆さん『ほっとステイ』の受け入れ家庭です。関心が深いだけに 話は直ぐ本題へ。 行政に頼らない『次世代支援』の方法論を討論。12月中に原案を作ることに成る。 来る22日の『小学校学校運営委員会』でこの件に関して 発言をしようと云うことになる。

先日小学校で頂いた礼状。次世代を元気で健やかに育てないと!


 2004/12/13
今日は本葬。朝、葬儀屋さんと今日の打ち合わせ。11時に式場への迎えの車が来る。
昼食を済ませ、12時30分会葬始まる。13時30分読経が始まり、葬儀、忌中法要、
初七日法要の読経と続く。2時45分忌中法要が始まり、4時終了、4時15分帰宅へ。

14時30分に お墓に納骨に出かけ、暗くなる寸前に帰宅。5時15分、この辺りでは『寺送り』と称して 菩提寺に住職さんを訪ね、今日の費用の『お布施』をお渡しし、供養をお願いする『野位牌』をお預けする。その後、寺院を案内して頂いた時に 自慢のツツジが咲く本堂の裏庭をライトアップして頂くと なんとそこには大きな鹿が来ていた。こんな所まで野生の鹿が出てくるのかと驚くと同時に 『鹿は』『ロク』と発音し、『禄』に通じ、『天の恵み』と云う事で 喜ばれている故事を思い出し、亡くなった故人が 私達を『見守っていますよ』と 云っているかの様に感じ、更なる想いが湧き上がって しばし目を熱くする。1時間ほど居て帰宅。引き続き『あとふき(御苦労会)』を8時50分迄行い、自宅に帰る。 

夜9時、信州大学のYさんが 特産品開発のレポート作成の為に 新形式でのインタビューに来る。私達信州せいしゅん村が考えて居ることが漸く理解が出来るように成ってきたかな?

この地方の葬儀は お通夜を済ませ荼毘に付し、会葬を受けます


 2004/12/12
私は朝、お寺さんにお位牌を頂きに行く。 9時、納棺をし 10時近所の方の見送りを受けておじさんの荼毘に向かう。 12時帰宅。明日の予定をお話ししひとまず一段落。
葬儀の案内状を配る。花輪、生花の手配。席順表作成、葬儀費用の概算見積もりを打ち合わせ。やらなくてはいけないことが 次々と出てきますね。

ハヤトウリのカラシ漬け。想像がつかないぐらいに風味が良いよ


 2004/12/11
昨夜は3時に帰宅。チョイ寝で叔父さん宅へ。この地区は隣組長が葬儀委員長をやりますとの事です。なんと葬儀委員長は私の知人、丁度隣組長で 話が早くて助かった。
8時15分隣組の人達が『顔覗き』に来た頂く。お寺さんへ行き ご住職さんと葬儀の打ち合わせ。帰って親類縁者の方々に説明。葬儀屋さんと諸々打ち合わせ、忌中法要の把握と やることが沢山有ります。 お通夜
今日は武石村にある特養『ともしび』で入所者に武石流で10割蕎麦を昼食に提供する事に成っていたが 私が都合悪いので〔ふくおさ・大高木さん〕〔むらびと・堀さん〕〔やどや・小金沢さん〕〔よろずや・小林尚子さん〕の4人で行って貰う。80食を出して無事終了。
新聞の取材も有ったので どのように掲載されるか 楽しみです。

入所者に見守られながら?特養『ともしび』で 蕎麦打ち提供

特養『ともしび』の外観。県内でも充実していると評判の施設だ


 2004/12/10
−2℃。大高木さんが朝見える。午前中受け入れ家庭と地主様への案内状作成について相談。作成後、案内状を配りに歩くと話しかけてきます。『空いた畑を作って呉ねーかいと』午後、トラクター作業に取りかかったら 合併の賛否の事で 議員の方が話しかけて来た。
仕事が進まない、困った。2時間後開始、16時30分まで。車の修理完了、取りに行く。
おじさんのお見舞い、まだよさそうだったので安心。
夜7時に 明日の蕎麦提供で打っている時間が足りないので 掛川さんと蕎麦打ち。あと大高木さんが来て 色々と話しながらお茶のみして10時30に帰る。
夜11時15分過ぎ、おじさんが亡くなったと連絡が入る。まだ大丈夫と思われていたのに残念です。肺炎が原因でした。

伏見宅に届いた礼状は『感謝状』となっていた。嬉しかったのでしょう!


 2004/12/09
朝、隣の丸子町に住んでいる 伯母さん夫婦のおじさんが危ないと 連絡が入り病院へ行く。
叔母さんは82歳でお子さんがないので 不安がって私を頼ってきているので 何とかしてあげたいと思います。取りあえず危機は脱したようです。
『ほっとステイ受け入れ家庭交流会』の案内状を作る。『我家我家ファーム』の地主さんにも声掛けをして集まって頂く手配をする。

『3色豆』が収穫出来た、綺麗でしょう。煮豆で食べるとオイシイよ


 2004/12/08
大高木さんと『ほっとステイ』交流会の開催運営方法について打ち合わせ。
その後、小学校の『学校運営委員会』の技の登録の件で話す。そして『子育て支援』について話が及び、信州せいしゅん村でも メンバーには 〔そんみん=伊藤裕信さん〕も松原邦彦武石村教育 委員会会長もいるし、何か出来るのではと 研究して行くことにしようと 話がまとまる。
田畑作の後かたづけで 田圃の藁散らかし、大根、人参の片づけ。トマトの支柱を運ぶ。
豆殻の積み直、し資材置き場を片づけて小屋がけし雨よけ、やることがいっぱいあります。
受け入れ家庭交流会の案内状を作成する。

余里の『耕心館』の庭に咲いていた『お茶の花』。武石村でも育つ!


 2004/12/07
−2度、氷が張った。朝、道端で〔がくじん=金井善男〕にお会いし、『信州ふるさと案内人』の養成講座の件を尋ねられる。前回の体験を事務所に寄って頂きお話をする。関心を持っているようだった。午前中、畑作の片づけ作業を行う。 
午後、精米所でお米が搗き上がっていたので持ち帰って 頼まれていた方々に発送するし、上田市の新井さんにお店用と自宅用のお米を届ける。その後自家用車のタイミングベルト交換に修理屋さんに持って行き 車を置いてくる。 

子持ちかんらん(芽キャベツ)が 寒締めを経て 甘みを増してきた


 2004/12/06
3℃。八ヶ岳農業実践大学校の先生と学生が『ほっとステイ』に来たいとの事。良いですよ。
午前中大高木さんが久し振りに見える。暫く忙しがっていて(忙しくて)話す機会がなかったので 丁度、体が昼まで体が空いたからと話し込む。 幻のマルタケトマトの来年の栽培についてどうするかな。注文を受けてから精米所の都合で滞っていた粳米を精米に出す。
4時、武石上流に腰掛け用の切り株を見に行く。谷底に有るので運び上げるのにアゴを出してしまいそうな場所だった。お断りするしかないのかな。

水が上がったので野沢菜の重石を取り出し運ぶ。50sほどの重石


 2004/12/05
気温11℃。昨夜の降水量50o。なま暖かい風が午前中吹き荒れる。外作業は駄目。
新しい篩い(フルイ)を作ろうと その金網部分に ステンレス金網から切り取り細工をする。
あとは周囲の木枠を作り取り付ければ完了です。このフルイの目は玄蕎麦を通して大豆は通さないものです。 親父さんの依頼で 炭坑節の替え歌で『保養音頭』をワープロ打ち。
午後は福岡国際マラソンを観戦後、東京のお店に古代米「アクネモチ=緑米」の穂付きの藁をしめ縄用に送る。3時急遽『ほっとステイ』の下見が入り 5時30分お帰りになる。

雨が上ったが ご覧の様に代掻きの水を張ったようなひどい状態

急遽訪れて頂いた『ほっとステイ』の下見の下見。遅くまで話し込む


 2004/12/04
朝税理士さんが見え、午前中掛かる。建設業だけでなく小売業が冷たくなって来ているって。
午後はアスパラの草むしり。明日は雨降りの予報なのでやれるだけやろうと頑張って仕事、仕舞ったのが4時45分。辺りは薄暗かった。暗くなって天気が悪くなり、昨夜のエビ採りは正解だったと云いながら 夜、佃煮とサッと茹でて冷凍にする。

アスパラの株元と通路の草むしり。2日掛かりでの春草の退治


 2004/12/03
−5℃、この冬一番カチカチに凍った。来年の5月11日に岐阜の陶都中学校2年生が165名バス5台で来ることに決まる。飯田市から移って来るようです。
自家用車のリコール修理で 車を上田市のディーラーに持ち込み修理。昼に帰宅。
午後は暗くなるまで アスパラの倒伏防止テープを外し、アスパラの茎を刈り取り、通路を耕耘機で起こす作業をし、野沢菜を漬け込み、5時30分過ぎ 岡谷の友人宅へエビ採りに出かける。10時10分帰宅。結構穫れる。忙しかった一日でしたが 無事済んだ。


以下のようにメールを頂いています。見られる方は是非見て下さい。

こんにちは
如何でしょうか?私の方は昨日テレビ東京の番組[住まいの極意]の取材を受けました。放送は12月11日夕方6時30分から12チャンネルで我が家のみの30分番組にでます。信州は放送されますかね?
ではご連絡を待ってます。
埼玉県 島乃仲由


おはようございます。
テレビ「住まいの極意」の放映で私がそば打をしますが、多分ナレーションで長野県武石村、信州「せいしゅん村」村おさ、小林一郎さんのことが出ると思います。
私が 何処でどなたに習ったかの問い合わせがありました。
関東甲信越で11日土曜日に放映ににるみたいです。武石流で小林さんは私のそば打ちの師匠ですから!少しは武石村のPRになれば良いですね。
村の方々にも ご覧いただくよう話して下さい。
ではまた
埼玉県 島乃仲由


『野沢菜』の漬け込み作業。これで一安心、後は水が上がるのを待つ


 2004/12/02
今朝は+4℃。このくらいだと辛くないですね。朝一で餅米5袋を精米に出す。この時期、精米所は 餅米しか精米していません。どうしてかと云うと 餅米に粳米が混ざると 餅を搗いた時、粳米の固い粒が残って食感が悪くからです。一週間は続きます。
9時30分小学校へポップコーンパーティーに招かれ顔を出す。夏に「スイメン=箱メガネ」を借りたお礼と云うことで パーティーに出席、子供達から礼状を頂く事となったのです。
校長室で待っていると 迎えが来て 手を繋いで教室の机に案内され、プレゼントまで頂き、1時間があっと言う間に過ぎました。こんなにして頂くのは申し訳ないですね、最高!

午後は『おなあらい(野沢菜洗いの事)』。いよいよ漬ける準備です。初冬の風物詩に数えられますが 暖かい日で しかも清水で洗ったので寒くなく、手も冷たく無かったのが救いです。
その後 来春補植する為にアスパラの とぼった(枯れた)所に目印の竹を立て、車の冬用スタッドレスタイヤへの履き替える。帰宅は暗くなった。

神妙な顔して? 子供達からプレゼントを頂きました。アリガトウ

全員が前に出て 代わる代わる思い出を発表、可愛いですね

担任の小林哲子(あきこ)先生。右に髪がフサフサな私の似顔絵

野沢菜を用水脇の清水で洗う『おなあら(=野沢菜洗い)』


 2004/12/01
−3℃。信濃毎日新聞誌上に 先日取材を受けた「信州ふるさと案内人」の事が南信版のトップで大きく報道されていた。どう進めていくか大変ですね。
安部・大高木両人が ビニールハウスを建てるので 道具を貸して欲しいと朝来る。
寒さが続き 『寒締め』が出来上がった野沢菜が穫れるようになったので 叔母さんが採りに来る。50s位取って、今年は不作なのにこんなに良いおなが穫れて と大喜びで帰って行く。
水道の凍結防止帯が 漏電していて機能しなかった為、昨年は 解凍作業をその都度強いられたので その部分を取り外して 新しい製品に付け替える。日が当たらない場所なので半日作業は非常に寒かった。でもこれで安心。
顔なじみの上田市の大手建設会社に勤めていた彼と路上で行き会い言葉を交わす。
昨年会社を辞めて、失業保険も切れるがこれからどうしたらいいのか悩んでいるって。

強い寒さに二度当たり、『寒締め』終了で野沢菜採り。美味いよ!






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