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たおやかと武士道 S様 | 信州せいしゅん村

たおやかと武士道 S様

「嫋か」と武士道 
                   
 以前、浜松で世界の花を集めた博覧会が開かれたことがありました。この時、文化芸術館に大きく掲げられていたメインテーマが「嫋か」でした。この字を「たおやか」と読むことは説明文で知ったのですが、「たおやか」という言葉は二十年ほど前、加山雄三と谷村新司が二十四時間テレビという番組で即興で作詞作曲した「サライ」という曲に使われており、意味は分からないまま、そのイントネーションが気に入っていました。そして、その花博の会場で「嫋か」の本当の意味を知りました。
 今から百五十年以上前、西欧では日本の花がブームになったそうです。ドイツ人医師シーボルトが長崎の出島にやってきたのが一八二四年、文政七年。次の年、長崎郊外の鳴滝に塾を開き、文政九年には将軍家斉に謁見するオランダ商館長に随行して江戸入りしました。彼は文政十二年に日本を去るのですが、その前の年、みやげに持ち帰ろうとした荷物の中に地図や禁制品が入っていて、これが大きな問題になったのが、いわゆる「シーボルト事件」です。しかしシーボルトは、いくつかの日本独特の植物を持ち帰り、その中に「ぎぼし」というユリ科の多年草がありました。漢字で「擬宝珠」、橋の欄千の柱の上につけた玉葱のような形をした飾りです。その花の蕾の形が擬宝珠に似ているので、「ぎぼし」というのだそうですが、花は薄紫の地味な花で、むしろ斑という模様の入った葉を鑑賞する植物だと聞きました。浜松の花博では季節の関係もあったのでしょうか、花のない葉だけのぎぼしが沢山展示されていました。現代のヨーロッパでは一番人気のある観葉植物だそうです。
 シーボルトの時代、西欧ではバラ等の鮮やかな花が中心で、葉や茎、根には全く関心がもたれていませんでした。花しか見なかった彼らは、生け花や盆栽といった植物全体を眺め、それを育てた人、生けた人の心や魂まで感ずるということは想像もできなかったでしょう。花を通じて感性や品格を高め磨く華道という文化は、西欧の人々にとって新しい文化の発見だったと思います。
 華道や盆栽という植物を愛する日本文化の根本が「嫋か」であるということで、それが花博のメインテーマになったのだそうです。全く反対の位置にあるような「嫋か」と「武士道」とが実は相通じるものであることも知りました。江戸時代、華道は武士の教養の一つとされておりましたし盆栽もその趣味の重要な部分を占めておりました。美しい花を咲かせるための茎や葉、根の働きを感じることが「嫋かな心」なのです。それは視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚の五感が研ぎ澄まされいなければ感じることができません。研ぎ澄まされた心、それは日本の武士道の基本でもあったのです。

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