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2008年4月10日

●モミ種の温湯消毒を女房が

9時上田市役所観光課に行って、観光会館の隣接地の土地建物売買に関して話し合いに臨む。今日は上田市側が不動産鑑定士からの鑑定結果に基づき購入価格を提示してもらったのです。思った通りの不満のある価格提示だった。市側は更地価格で買いたいとのこと、これでは話になりませんね。売り主側は建物の評価や営業権の評価もして欲しいと願っているので全く相いれない価格でした。

売り主宅へ行って報告。案の定、上田市へは売却を断念する方向で考えを進めて行ってみたいと云われた。

10時40分、水野さんの事務所で新ほっとステイパンフの進み具合と出来上がった部分までの確認作業をする。着々と進んでいます。

11時45分帰宅し、この冬作業した寒晒し蕎麦粉を使って打ってみて、それを大高木さんと鈴木さんの3人で試食してみる。一番うまいのはやっぱり寒晒し蕎麦だった。当たり前!

2時過ぎ、丸子の伯母さんの一時帰宅について、『いこい』のケースワーカーさんと相談。12日・13日にすることになった。

この打ち合わせに行っている間に、女房が種モミ・お米の温湯処理消毒をやってくれてしまっていた。サンキュー。

夜8時過ぎに水野さんが出来上がったパンフ原稿を持って来てくれた。何回も足を運んでもらってすみませんね。もうひと頑張りです。

2008年4月 9日

●寒晒しのお酒のラベル

ほっとステイ冬バージョンパンフへの掲載情報について、各地のメンバーと連絡を取り合う。今まで進めてきたバージョンでは駄目だということが分かったので、大至急手を入れて直さないといけないので大変です。時間があっという間に過ぎて行ってしまいます。

奈良の横井先生から寒晒しのお酒のラベルの件でメールが入っていた。先生が本気になって作っていただけるとのことで、あり得ないような有り難いお話で感激です。よろしくお願いいたします。

午後長和町の山口さんの所へ行って、農作業委託料金の支払と種モミ8kgを買ってくる。その際にほっとステイの受け入れ家庭になて頂く件をお願いしてみると、良いことだから受け入れしますよと返事を頂く。お世話になりますすがよろしくお願いいたします。

もう直に味噌仕入れを行うので穀櫃から大豆を取り出し、選別や量を測る準備をする。上田の柳沢さんからも大豆10kgを頼まれているので量る。

2008年4月 8日

●他人事では困ります

パンフのマップ面の掲載資料を作成。午前中に終わって水野さんに手配する。

今私の地域でアスファルト舗装道路が剥がされ道路の下地部分の下層路盤から道路改修工事が行われていますが、事務所前の道路がどう見ても沈み込んでいておかしく、水が溜まってしまうようだ。そこで役場に電話して『前と同じように水が溜まりそううなので見に来てほしい』と担当者?に来てもらって確認をして貰う。そうしたらあろうことか『低くて水が溜まってしまうようだったら検査が通らねからいいわい。業者がやり直しをすれば良いから』とのこと。

何言っているんだ。やり直しになればみんな困るじゃないか。わかっているのだから今直しておけば良いでしょう。やり直しをすれば跡形が残って見苦しいし、上手く排水が取れないのではないか。他人事のような言い方が気になる。人のお金を使ってやる仕事、人がやった仕事としか見ていなくて、面倒くさい様子がありあり。困った職員だ。(うるさい野郎だと思われても仕方ないですね)

再度友人の市役所課長に相談。違う部署の担当者を紹介してくれ、その彼が見に来てくれ、話をしたら理解してくれ、舗装するときに対応して水がたまらないように約束してくれた。頼みますよ。

横井先生と寒晒し純米酒のラベルの件で電話で話し合い、ラベル作成を依頼する。出来上がりが楽しみですが、前もって先生にメールしてお聞きしておきました。支払うお金はいくらぐらいでしょうかと。そうしたら旅費だけでいいですよとのこと。デザイン料は不要とのことで、皆さんに協力しますと言っていただいたのです。本当にありがとうございます。宜しくお願いします。

3時過ぎ、大屋の酒井宅へ請求書を持って行く。丁度酒井さんが辛ナンバンを粉末にしているところだった。小瓶に入れた一味唐辛子を頂いてしまう。酒井さんにも差し上げてきたが、岩下宅へも顔を出し、ふるさと回帰予備校の教本を届ける。

上田の税理士事務所へ決算書類を届ける。真田菅平の宿泊施設の経理も担当していて、そこの面倒を見てくれと頼まれる。一緒に頑張りましょうと言っておいてくださいね。

帰る途中に酒井宅の奥様から再び呼びがかかったので伺う。4時20分からいろんな話しに花が咲き、お暇するのが6時を過ぎていた。遅くまでお邪魔していて済みませんでした。

2008年4月 7日

●パンフ原稿を渡す

別所温泉の旅館組合長で上松屋の倉沢さんから今作っているパンフの掲載について電話を受ける。別所も掲載してほしいとのことでした。今回は学習向けなので次回に再検討して欲しいとお断りする。

そのあと、大高木さんがやってきて、パンフと下見の処理について話しをする。

10時30分、長和町の老健施設『いこい』へ行って伯母さんの外出許可と外泊許可の届けてくる。住宅改良工事もやることが正式に決まる。

11時30分に水野さんがマップ部分の表示位置を持参してくれる。外周にデータを掲載配置して画像も貼り付けることにする計画。

ほっとステイ冬バージョンの直しを行う。

夕方長野県庁の熊谷さんから電話が入る。副知事や農政部長が信州せいしゅん村の活動状況を視察に来たいと言っていた。実際に行われれば私達が展開している観光と農業の連携を知って頂く良い機会になりますね。実現して欲しいです。

長和の森田さんと和田宿の中山道祭りのイベント開催について、長野県も関わる形で観郷ウォークを行えるかどうかを打診して貰うことのする。

水野さんが夕方再びやって来てくれる。マップ面の作り終えた情報をお渡しする。

2008年4月 6日

●霧ヶ峰~諏訪湖へ下る

飯前に露天風呂に入浴。朝寝・朝酒・朝湯と云いますがその気持ちがわかりますね。8時から朝食。
お袋さんは外の露天風呂がジャグジーになっているのを昨夜見て、温泉が沸騰して湧いて出ていると勘違いして入らなかったが、今朝は弟のお嫁さんが入っているのを見て入ってみたらとても気持ちよかったと、冗談交じりで話して呉れてみんなで大笑い。玄関先で記念撮影をしてそれぞれ帰路に。

私達は霧ケ峰高原から諏訪へ下るルートを行くことにする。初めてのコースの道路です。どこの降りるのか判らなかったのですが、急な坂道を下って行くと見覚えのある交差点。ここだったんだ。

諏訪湖の港でで一休み。諏訪湖を一周してみたら40分掛かった。その後昼食。

帰宅後2時過ぎからトラクターで春野菜を作る畑を起こす。タマネギを植える場所も起こす。そのあと果樹園の残っていた木の消毒と我が家の庭の消毒をする。農作業も進んできました。

2008年4月 5日

●諏訪ロマネット 両親の結婚記念日

朝、風のない中を昨日出来なかった場所の消毒に行ったら桶やホースの中が凍っていて出てこない、消毒作業ができずに退散。予想を超える寒さだったんですね。

両親の結婚記念日と母親の退院祝いを兼ねて、名古屋や平塚から兄弟家族が集まり、揃って宿泊しようと云うことになって、私達は10時、我が家を出発。岡谷のロマネットへ行って入浴。気持ちの良さが有ってか、皆で2時10分まで寝込んでしまう。疲れているんでしょうね。

3時にはホテルに行く予定だとほかの者に伝えていたので、慌てて車山のホテルへ向けて出発。途中で電話連絡をしてみたら他も遅れるようで一安心。3時30分に到着。

皆を迎えて6時に夕食。洋食のコース料理は両親にとっては不満足なようだった。反省します。盛り上がって11時過ぎまで騒いでいたようだった。(私は寝込んでしまって判らない)

2008年4月 4日

●義弟がやって来た

昨日アドバイスを戴いた『ほっとステイ冬バージョン』のパンフを修正する。

東京の義弟が11時前に、農作業をやりにやってきた。しばらく来なかったのですが、ベトナムの仕事が片づいて帰国できたので来ましたと云っていたが、武石に農作業をしに来るのが気分転換になるし、帰りは温泉巡りをしてお湯に入れるので一番良いですと。

お茶のみ後、私がトラクターで畑を起こし、女房達がハコベの種がこぼれると大変になるからと、私の前を先だって草取り作業。トラクターに追われて忙しかったと思います。気にしていた畑の草退治が出来て一安心。1時前に帰宅昼食。

ヤマゴボウの掘り取りもやって貰い、ゆっくりとお茶を飲み、5時前に義弟は帰路につく。お土産は野菜しかないのですが、冷蔵庫に入りきらないので、と沢山持って行っては呉れないので困ってしまいます。このやり取りが笑い話のようで面白いですよ。家族全員で笑い転げてしまいます。

夕方果樹園の消毒を行う。石灰硫黄合剤で最低限これをやっておかないと駄目なので毎年やっています。硫黄ですから硫黄臭がひどくて嫌われてしまいますし、作り物(野菜)に付着すると取れず、匂いも残りますので細心の注意を払って消毒しています。今回も風向きが東風になってしまい、西側のお宅にネギが植えられていましたのでその部分だけは散布せずに明日の朝行うことにする。

パンフを長野県観光協会へ送っておいたら恵崎常務から電話が入る。『これはインバウンドに使えるから使わして下さい』と云われ、そこまで使って頂けるとは有り難いお話しで、そんな意向があればと、もう少し趣旨に合わせた訂正をする事にします。


2008年4月 3日

●大阪。滑り込みセーフ

5時30分に家を出て松本へ。7時05分の中央線しなの2号に乗って名古屋。名古屋からひかりに乗って新大阪、そして大阪駅に到着。

地下鉄に乗り難波駅で下車。11時30分過ぎ、私達信州せいしゅん村が玄蕎麦を供給している蕎麦屋さん、『寒晒し蕎麦・芦生(あしう)』さんへ顔出し。どんなところで商売をやっているのか、どんな売り方で商売をやっているのか知りたくて行ったのです。

予想を超える形で商売がされていて驚きました。外観、内部の設え、雰囲気どれもこれも大したものでした。なるほど2号店を出したいと行っているのが判ります。これなら安心して取引が継続できます。

1500円の蕎麦定食を注文してふと目を上げるとテーブルの上には私達の『寒九郎』と『the幸村』が並べられていて、涙が出るぐらい嬉しくなりました。ここの人を裏切るわけにはいけませんね。頑張ります。

お盆に載せられてきた定食を見ると、満足すぎるぐらいの料理が並んでいて、人気が頷けます。最後にはサービスでウグイの南蛮漬けまで戴いてしまいました。ご馳走さまでした。

1時30分に日本旅行の西日本営業本部の教育旅行担当の三船さんにお会いする。今回大阪に来た目的の、「冬の学習旅行パンフレット」を作成している中で、三船さんにアドバイスを戴きに来たのです。

『わたしだったらこうする』と言う風な的確なアドバイスを戴き、考えの至らないところがありすぎて厭になってしまいます。これを活かすべく、明日から大幅な変更作業をしなければならなくなりましたが、反響が楽しみになるパンフが作れるので愚痴をこぼしてはいけませんね。

新大阪からの新幹線が15時。9分前に改札を通り乗り込んで、名古屋へ。名古屋から中央線で16時発に乗り込むのに新幹線改札を出るのが7分前。松本着が16時で駐車場の代金が12時間までで1200円、これも滑り込みセーフ。今回の大阪行きは全てに渡って巡り合わせが良くって感謝しなければならないですね。勿論一番の滑り込みセーフは三船さんからのアドバイスが印刷に間に合うことです。ありがとうございました。

大高木さんがほっとステイ下見の学校、愛知県三好高校と東京成城中学を済ませておいて呉れた。ご苦労様でした。


冬バージョン

2008年4月 2日

●下見のシーズンイン

8時45分、上田の地方事務所企画課の飯島さんのところに書類を提出。もう一回直して行かなければならなくなった。原因は渡された原稿に記載されていない事項を求められてしまった為。原稿通りに作って行っていけないと云われてしまえばどうにもならない。

9時20分信州銘醸さんへ立ち寄り、今度の11日から行われる上田城千本桜祭りの打ち合わせ。駐車許可証を戴き、当日の動きの確認と売り上げと取り扱い方について説明を受ける。何も心配はない体制で張り切って売り出しに参加できます。

11時30分、工学院大学付属高校の6人の先生方がほっとステイの下見に見える。最初に村内をご案内。エージェントの伊藤さんから『どこか、受け入れ家庭に立ち寄らせて戴けないですか』と急に云われ、その場で上原さん宅をご案内。

上原さん宅では、以前同じ学校の生徒を受け入れ、その際に受け入れを迷った経過を話し始め、内心どうなるかと心配になったが、新聞の投稿には受け容れて良かったとなっていたので、様子を見守る。

失礼な手紙を戴き厭になったが、受け容れてみたらどうしてこうなったかが理解でき、生徒さん達も反省したと後で礼状を戴いたので良かったですと。1時過ぎにお帰りになる。

ほっとステイの下見が多くなり始めました。今日は2校、明日は1校、明後日は1校、忙しくなりますね。

真壁さんのところへthe幸村を届ける。寒晒し作業の立役者ですから配るのが遅すぎたぐらいで『申し訳御座いませんでした』と声を掛けると『いいだよ、届けて貰うんだから。なおゴメンね』。居合わせた坂本夫妻と一緒にお茶をいただいて帰る。

5時過ぎ茅野市蓼科のアートヒルズホテルの谷本さんが見える。少し遅れて白樺湖ホテル景陽の村松さんが見える。今作り始めているパンフにホテル名を掲載して欲しいとお願いされる。今回は間に合わないが、次回発行するときに実績をみて判断しますと答える。仕方ありませんね。


2008年4月 1日

●パンフの掲載情報、油絵を頂く

冬バージョンのパンフに掲載する資料を集めてまとめる作業を行う。ひとつ纏めるのに、電話をかけて確認しながらなのですが、その電話が長引いてしまうのです。困ったものです。でも皆さん真剣に語りかけて来ますし、私も熱を帯びて語りますのでついそうなってしまいます。

茅野市関係の話が長引いています。横川観光j連盟事務局長の真剣かつ情熱には敬意を表したいのですが、パンフを作ると聞いたので掲載してほしいといわれても、ああ良いですよと簡単には了解できません。お互いがどのように考え行動するのか、分りあえて初めて事が進むと思うのです。横川さんからは推薦を頂いたということにして下さいと返事をするのが関の山でした。

13時前にようやく完了し、あとはデザインの水野さんに託しました。

1時30分過ぎに上田市川西の荒井さんが、20号の油絵を携えてお出でになる。昔30年ほど前に荒井さんが住宅を増築する際に、私が設計図を書いて差し上げた事が有りました。その際に設計料は荒井さんとは仕事を同じ職場でしていたこともあり、お金がない中で無理して家を建てるのを知っていたので貰わずに、『いつか気に入った絵が描けたらそれを頂きたい』と言ってお別れしていたのです。

先日、荒井さんから達筆なお手紙を頂いたのです。『80歳を迎えるのに貴君のことは忘れたことはございません。遅くはなったが改めてお伺いし、約束を果たしたい』と書かれていました。私の方が忘れてしまっていたので、申し訳ないぐらい。今になっても覚えていてくれることに敬服するだけです。素晴らしい奥信濃の雪景でした。早速居間に飾らせていただきました。

水野さんが4時過ぎに出来上がったパンフ原稿を持ってやってきた。何回も足を運んでいただいてすみませんね。掲載の表側はほぼ思ったとおりに進めていただいていました。今回はマップ面の表記方法で打ち合わせに来てくれたのです。

こんな大量の情報量は載せるところがないのでどうしましょうか、と云われてしまいました。表題、開催地、宿泊施設、体験施設、食事処、見学場所。どれも重要な情報なのですから、乗せたいのですが、場所がないといわれてしまって大困り。

そこでマップの上に四角の枠を取って載せましょうと提案したのですが、そんな場所がないといわれてしまう。でも乗せる情報は最低限を乗せればいいわけで、それだけだったら乗るのでは?。掲載量の数を確かめ、了解を貰う。

そのあとが又食い違いが出ます。施設の名前を載せて、乗らない部分の情報は欄を設けて入れないといけないですね、と来ました。どうしてそんな情報から載せようとするのですか。私は必要な情報から掲載すればいいわけで、場所なんかとらないでしょうと反論。

作る人の考え方次第ですね。今までの作り方でいえば施設の名前をマップに落とし、概略は脇にある欄に、詳細はほかに用意してあるパンフと云うことになりますが、それが見る人側、訪れる人側にとってはどうなっているのかを考えると、今まで通りに作ることを疑問に感じざるをえません。