2008年4月10日

●モミ種の温湯消毒を女房が

9時上田市役所観光課に行って、観光会館の隣接地の土地建物売買に関して話し合いに臨む。今日は上田市側が不動産鑑定士からの鑑定結果に基づき購入価格を提示してもらったのです。思った通りの不満のある価格提示だった。市側は更地価格で買いたいとのこと、これでは話になりませんね。売り主側は建物の評価や営業権の評価もして欲しいと願っているので全く相いれない価格でした。

売り主宅へ行って報告。案の定、上田市へは売却を断念する方向で考えを進めて行ってみたいと云われた。

10時40分、水野さんの事務所で新ほっとステイパンフの進み具合と出来上がった部分までの確認作業をする。着々と進んでいます。

11時45分帰宅し、この冬作業した寒晒し蕎麦粉を使って打ってみて、それを大高木さんと鈴木さんの3人で試食してみる。一番うまいのはやっぱり寒晒し蕎麦だった。当たり前!

2時過ぎ、丸子の伯母さんの一時帰宅について、『いこい』のケースワーカーさんと相談。12日・13日にすることになった。

この打ち合わせに行っている間に、女房が種モミ・お米の温湯処理消毒をやってくれてしまっていた。サンキュー。

夜8時過ぎに水野さんが出来上がったパンフ原稿を持って来てくれた。何回も足を運んでもらってすみませんね。もうひと頑張りです。

2008年4月 9日

●寒晒しのお酒のラベル

ほっとステイ冬バージョンパンフへの掲載情報について、各地のメンバーと連絡を取り合う。今まで進めてきたバージョンでは駄目だということが分かったので、大至急手を入れて直さないといけないので大変です。時間があっという間に過ぎて行ってしまいます。

奈良の横井先生から寒晒しのお酒のラベルの件でメールが入っていた。先生が本気になって作っていただけるとのことで、あり得ないような有り難いお話で感激です。よろしくお願いいたします。

午後長和町の山口さんの所へ行って、農作業委託料金の支払と種モミ8kgを買ってくる。その際にほっとステイの受け入れ家庭になて頂く件をお願いしてみると、良いことだから受け入れしますよと返事を頂く。お世話になりますすがよろしくお願いいたします。

もう直に味噌仕入れを行うので穀櫃から大豆を取り出し、選別や量を測る準備をする。上田の柳沢さんからも大豆10kgを頼まれているので量る。

2008年4月 8日

●他人事では困ります

パンフのマップ面の掲載資料を作成。午前中に終わって水野さんに手配する。

今私の地域でアスファルト舗装道路が剥がされ道路の下地部分の下層路盤から道路改修工事が行われていますが、事務所前の道路がどう見ても沈み込んでいておかしく、水が溜まってしまうようだ。そこで役場に電話して『前と同じように水が溜まりそううなので見に来てほしい』と担当者?に来てもらって確認をして貰う。そうしたらあろうことか『低くて水が溜まってしまうようだったら検査が通らねからいいわい。業者がやり直しをすれば良いから』とのこと。

何言っているんだ。やり直しになればみんな困るじゃないか。わかっているのだから今直しておけば良いでしょう。やり直しをすれば跡形が残って見苦しいし、上手く排水が取れないのではないか。他人事のような言い方が気になる。人のお金を使ってやる仕事、人がやった仕事としか見ていなくて、面倒くさい様子がありあり。困った職員だ。(うるさい野郎だと思われても仕方ないですね)

再度友人の市役所課長に相談。違う部署の担当者を紹介してくれ、その彼が見に来てくれ、話をしたら理解してくれ、舗装するときに対応して水がたまらないように約束してくれた。頼みますよ。

横井先生と寒晒し純米酒のラベルの件で電話で話し合い、ラベル作成を依頼する。出来上がりが楽しみですが、前もって先生にメールしてお聞きしておきました。支払うお金はいくらぐらいでしょうかと。そうしたら旅費だけでいいですよとのこと。デザイン料は不要とのことで、皆さんに協力しますと言っていただいたのです。本当にありがとうございます。宜しくお願いします。

3時過ぎ、大屋の酒井宅へ請求書を持って行く。丁度酒井さんが辛ナンバンを粉末にしているところだった。小瓶に入れた一味唐辛子を頂いてしまう。酒井さんにも差し上げてきたが、岩下宅へも顔を出し、ふるさと回帰予備校の教本を届ける。

上田の税理士事務所へ決算書類を届ける。真田菅平の宿泊施設の経理も担当していて、そこの面倒を見てくれと頼まれる。一緒に頑張りましょうと言っておいてくださいね。

帰る途中に酒井宅の奥様から再び呼びがかかったので伺う。4時20分からいろんな話しに花が咲き、お暇するのが6時を過ぎていた。遅くまでお邪魔していて済みませんでした。

2008年4月 7日

●パンフ原稿を渡す

別所温泉の旅館組合長で上松屋の倉沢さんから今作っているパンフの掲載について電話を受ける。別所も掲載してほしいとのことでした。今回は学習向けなので次回に再検討して欲しいとお断りする。

そのあと、大高木さんがやってきて、パンフと下見の処理について話しをする。

10時30分、長和町の老健施設『いこい』へ行って伯母さんの外出許可と外泊許可の届けてくる。住宅改良工事もやることが正式に決まる。

11時30分に水野さんがマップ部分の表示位置を持参してくれる。外周にデータを掲載配置して画像も貼り付けることにする計画。

ほっとステイ冬バージョンの直しを行う。

夕方長野県庁の熊谷さんから電話が入る。副知事や農政部長が信州せいしゅん村の活動状況を視察に来たいと言っていた。実際に行われれば私達が展開している観光と農業の連携を知って頂く良い機会になりますね。実現して欲しいです。

長和の森田さんと和田宿の中山道祭りのイベント開催について、長野県も関わる形で観郷ウォークを行えるかどうかを打診して貰うことのする。

水野さんが夕方再びやって来てくれる。マップ面の作り終えた情報をお渡しする。

2008年4月 4日

●義弟がやって来た

昨日アドバイスを戴いた『ほっとステイ冬バージョン』のパンフを修正する。

東京の義弟が11時前に、農作業をやりにやってきた。しばらく来なかったのですが、ベトナムの仕事が片づいて帰国できたので来ましたと云っていたが、武石に農作業をしに来るのが気分転換になるし、帰りは温泉巡りをしてお湯に入れるので一番良いですと。

お茶のみ後、私がトラクターで畑を起こし、女房達がハコベの種がこぼれると大変になるからと、私の前を先だって草取り作業。トラクターに追われて忙しかったと思います。気にしていた畑の草退治が出来て一安心。1時前に帰宅昼食。

ヤマゴボウの掘り取りもやって貰い、ゆっくりとお茶を飲み、5時前に義弟は帰路につく。お土産は野菜しかないのですが、冷蔵庫に入りきらないので、と沢山持って行っては呉れないので困ってしまいます。このやり取りが笑い話のようで面白いですよ。家族全員で笑い転げてしまいます。

夕方果樹園の消毒を行う。石灰硫黄合剤で最低限これをやっておかないと駄目なので毎年やっています。硫黄ですから硫黄臭がひどくて嫌われてしまいますし、作り物(野菜)に付着すると取れず、匂いも残りますので細心の注意を払って消毒しています。今回も風向きが東風になってしまい、西側のお宅にネギが植えられていましたのでその部分だけは散布せずに明日の朝行うことにする。

パンフを長野県観光協会へ送っておいたら恵崎常務から電話が入る。『これはインバウンドに使えるから使わして下さい』と云われ、そこまで使って頂けるとは有り難いお話しで、そんな意向があればと、もう少し趣旨に合わせた訂正をする事にします。


2008年4月 3日

●大阪。滑り込みセーフ

5時30分に家を出て松本へ。7時05分の中央線しなの2号に乗って名古屋。名古屋からひかりに乗って新大阪、そして大阪駅に到着。

地下鉄に乗り難波駅で下車。11時30分過ぎ、私達信州せいしゅん村が玄蕎麦を供給している蕎麦屋さん、『寒晒し蕎麦・芦生(あしう)』さんへ顔出し。どんなところで商売をやっているのか、どんな売り方で商売をやっているのか知りたくて行ったのです。

予想を超える形で商売がされていて驚きました。外観、内部の設え、雰囲気どれもこれも大したものでした。なるほど2号店を出したいと行っているのが判ります。これなら安心して取引が継続できます。

1500円の蕎麦定食を注文してふと目を上げるとテーブルの上には私達の『寒九郎』と『the幸村』が並べられていて、涙が出るぐらい嬉しくなりました。ここの人を裏切るわけにはいけませんね。頑張ります。

お盆に載せられてきた定食を見ると、満足すぎるぐらいの料理が並んでいて、人気が頷けます。最後にはサービスでウグイの南蛮漬けまで戴いてしまいました。ご馳走さまでした。

1時30分に日本旅行の西日本営業本部の教育旅行担当の三船さんにお会いする。今回大阪に来た目的の、「冬の学習旅行パンフレット」を作成している中で、三船さんにアドバイスを戴きに来たのです。

『わたしだったらこうする』と言う風な的確なアドバイスを戴き、考えの至らないところがありすぎて厭になってしまいます。これを活かすべく、明日から大幅な変更作業をしなければならなくなりましたが、反響が楽しみになるパンフが作れるので愚痴をこぼしてはいけませんね。

新大阪からの新幹線が15時。9分前に改札を通り乗り込んで、名古屋へ。名古屋から中央線で16時発に乗り込むのに新幹線改札を出るのが7分前。松本着が16時で駐車場の代金が12時間までで1200円、これも滑り込みセーフ。今回の大阪行きは全てに渡って巡り合わせが良くって感謝しなければならないですね。勿論一番の滑り込みセーフは三船さんからのアドバイスが印刷に間に合うことです。ありがとうございました。

大高木さんがほっとステイ下見の学校、愛知県三好高校と東京成城中学を済ませておいて呉れた。ご苦労様でした。


冬バージョン

2008年4月 2日

●下見のシーズンイン

8時45分、上田の地方事務所企画課の飯島さんのところに書類を提出。もう一回直して行かなければならなくなった。原因は渡された原稿に記載されていない事項を求められてしまった為。原稿通りに作って行っていけないと云われてしまえばどうにもならない。

9時20分信州銘醸さんへ立ち寄り、今度の11日から行われる上田城千本桜祭りの打ち合わせ。駐車許可証を戴き、当日の動きの確認と売り上げと取り扱い方について説明を受ける。何も心配はない体制で張り切って売り出しに参加できます。

11時30分、工学院大学付属高校の6人の先生方がほっとステイの下見に見える。最初に村内をご案内。エージェントの伊藤さんから『どこか、受け入れ家庭に立ち寄らせて戴けないですか』と急に云われ、その場で上原さん宅をご案内。

上原さん宅では、以前同じ学校の生徒を受け入れ、その際に受け入れを迷った経過を話し始め、内心どうなるかと心配になったが、新聞の投稿には受け容れて良かったとなっていたので、様子を見守る。

失礼な手紙を戴き厭になったが、受け容れてみたらどうしてこうなったかが理解でき、生徒さん達も反省したと後で礼状を戴いたので良かったですと。1時過ぎにお帰りになる。

ほっとステイの下見が多くなり始めました。今日は2校、明日は1校、明後日は1校、忙しくなりますね。

真壁さんのところへthe幸村を届ける。寒晒し作業の立役者ですから配るのが遅すぎたぐらいで『申し訳御座いませんでした』と声を掛けると『いいだよ、届けて貰うんだから。なおゴメンね』。居合わせた坂本夫妻と一緒にお茶をいただいて帰る。

5時過ぎ茅野市蓼科のアートヒルズホテルの谷本さんが見える。少し遅れて白樺湖ホテル景陽の村松さんが見える。今作り始めているパンフにホテル名を掲載して欲しいとお願いされる。今回は間に合わないが、次回発行するときに実績をみて判断しますと答える。仕方ありませんね。


2008年4月 1日

●パンフの掲載情報、油絵を頂く

冬バージョンのパンフに掲載する資料を集めてまとめる作業を行う。ひとつ纏めるのに、電話をかけて確認しながらなのですが、その電話が長引いてしまうのです。困ったものです。でも皆さん真剣に語りかけて来ますし、私も熱を帯びて語りますのでついそうなってしまいます。

茅野市関係の話が長引いています。横川観光j連盟事務局長の真剣かつ情熱には敬意を表したいのですが、パンフを作ると聞いたので掲載してほしいといわれても、ああ良いですよと簡単には了解できません。お互いがどのように考え行動するのか、分りあえて初めて事が進むと思うのです。横川さんからは推薦を頂いたということにして下さいと返事をするのが関の山でした。

13時前にようやく完了し、あとはデザインの水野さんに託しました。

1時30分過ぎに上田市川西の荒井さんが、20号の油絵を携えてお出でになる。昔30年ほど前に荒井さんが住宅を増築する際に、私が設計図を書いて差し上げた事が有りました。その際に設計料は荒井さんとは仕事を同じ職場でしていたこともあり、お金がない中で無理して家を建てるのを知っていたので貰わずに、『いつか気に入った絵が描けたらそれを頂きたい』と言ってお別れしていたのです。

先日、荒井さんから達筆なお手紙を頂いたのです。『80歳を迎えるのに貴君のことは忘れたことはございません。遅くはなったが改めてお伺いし、約束を果たしたい』と書かれていました。私の方が忘れてしまっていたので、申し訳ないぐらい。今になっても覚えていてくれることに敬服するだけです。素晴らしい奥信濃の雪景でした。早速居間に飾らせていただきました。

水野さんが4時過ぎに出来上がったパンフ原稿を持ってやってきた。何回も足を運んでいただいてすみませんね。掲載の表側はほぼ思ったとおりに進めていただいていました。今回はマップ面の表記方法で打ち合わせに来てくれたのです。

こんな大量の情報量は載せるところがないのでどうしましょうか、と云われてしまいました。表題、開催地、宿泊施設、体験施設、食事処、見学場所。どれも重要な情報なのですから、乗せたいのですが、場所がないといわれてしまって大困り。

そこでマップの上に四角の枠を取って載せましょうと提案したのですが、そんな場所がないといわれてしまう。でも乗せる情報は最低限を乗せればいいわけで、それだけだったら乗るのでは?。掲載量の数を確かめ、了解を貰う。

そのあとが又食い違いが出ます。施設の名前を載せて、乗らない部分の情報は欄を設けて入れないといけないですね、と来ました。どうしてそんな情報から載せようとするのですか。私は必要な情報から掲載すればいいわけで、場所なんかとらないでしょうと反論。

作る人の考え方次第ですね。今までの作り方でいえば施設の名前をマップに落とし、概略は脇にある欄に、詳細はほかに用意してあるパンフと云うことになりますが、それが見る人側、訪れる人側にとってはどうなっているのかを考えると、今まで通りに作ることを疑問に感じざるをえません。

2008年3月31日

●県の完了検査を受け、合格

9時に上田の地方事務所に伺い、長野県元気づくり支援金で進めてきた『ふるさと回帰予備校の構築事業』の精算書と証拠書類の領収書を持参して、坪井さんに完了検査を受ける。1時間掛かってみて頂き無事検査が通った。

私が審査を受けている最中に『いき生耀ながわ』の三人が15分前にやってきた。今日は私達の関係者が他にも午後には真田や青木が審査を受けます。皆さんしっかりとやってきてくれてるので大丈夫だと思いますが少しは心配があります。

帰宅して冬バージョンのパンフの原稿を大高木さんと最終的にチェック。言葉をそのまま使っていかないと従来型の商品と変わらない印象を受けてしまうので、今までの計画で行くことにする。

パンフは表側が仕上がったのでマップ面の情報収集をして、仕上げをしていきます。宿泊情報や体験施設情報、食事情報等を、掲載する予定です。

私たちが新しいパンフを作成する際には、必ず今までとは違う風が吹いてきますね。前例に無い形で取り組みますので、どうしてもそうなってしまいます。掲載するだけでお客様が来て貰えるように考えてしまうようで困ります。ひとつの商品を扱う中で、同じ気持ちで取り組みをしていかないと、それこそ邪な人と仕事をやるようになり、これではうまくいくわけがございません。茅野市観光連盟、女神湖ペンション、白樺湖ホテル、姫木平ペンション。うまく組めるといいですね。

夕方デザインスタジオエムの水野さんが原稿を仕上げて持って来てくれ、マップの仕上げを打ち合わせを行う。

2008年3月29日

●学習旅行の冬バージョンパンフ

学習旅行の冬バージョンの原稿を仕上げないと間に合わないので、一日中原稿を作る。皆さんと意見交換をしながら調整して作り込んでいきます。

夕方白樺湖へ行ったついでに、車山のリゾリックスへ立ち寄って吉澤さんと話してきましたと大高木さんが話しながら事務所にやってきた。立派な施設で驚きましたと私と同じ感想を漏らしていた。今度泊まりに行ってみようと思っています。

2008年3月28日

●王滝村のおんたけ村から訪問者

10時に王滝村からほっとステイ体験者が7人がやってきた。受け入れをしていくようになる中で、受け入れに不安を訴える人たちがいるのでやってきたのです。二班に分かれ私は鎌形さん宅に案内し入って貰う。顔合わせをしながら直ぐ主題に入って行き、やる気に対しての意気込みをうかがわせ、今回の行動は頼もしい限りですね。

受け入れを鎌形さんに任せて、11時にデザインスタジオエムの水野さんがパンフの打ち合わせにやってくる。ほっとステイの目的等を紹介するのには問題はないが、地図を作るのに苦労しそうな雰囲気です。

昼食後の1時過ぎに車山高原のホテル『リゾリックス』の吉澤さんが、今日の受け入れ状況を見学にやってくる。この次は高校生が体験しにやってくるときに来ますと言ってお帰りになる。

2時30分過ぎ、参加者が公民館に集まり反省会を行う。皆さん大変喜ばれていて口々に『これだったら出来る』と言っていた。3時30分帰路に就かれる。

冬バージョンパンフを作らないといけないと原稿作成に拍車がかかりますが、思うように進みません。今回のパンフは皆さんに『ほっとステイ』の目的を理解してもらわないといけないので、どうしても説明文が長くなってしまい、見づらいと云う悩みが解決しなくて困ります。本当に悩みです。

2008年3月27日

●茅野市観光連盟&日本旅行の懇親会

9時30分過ぎ、茅野市観光連盟の横川事務局長と下諏訪町の観光協会のお二人がやってくる。今度作ろうとしている学習旅行誘致の冬バージョンパンフについて、どんな風に作ろうとしているのかと確認にやってきたのです。茅野の観光連盟は加盟団体が多いので纏めるには問題があるが、個人的には是非加わらせてほしいと頼まれる。作成には時間がないので、忙しいので出来るところからやるしかないので、そうして下さいねと返事をする。12時前にお帰りになる。

午後はそのパンフの原稿作りにずっと追われる。

夜7時30分、長和町道の駅マルメロの駅で立科の吉澤さんと真田の山崎さんと待ち合わせし、車山高原のペンションに出かけて行く。

日本旅行の社員研修会に参加を許され、懇親会で名刺交換をしながらほっとステイの説明をするためです。予定が遅れて懇親会開始は9時40分過ぎ。私達の商品を理解してもらうと乗り気になってくれますので熱が入ります。話し込んでしまって時計を見たら12時30分過ぎていて、帰宅は1時10分。私達の純米酒『THE幸村』を持ち込んで飲んでいただいたら『これはうまい』といって頂く。やっぱりね。

そのあと、パンフを再度作成して資料を水野さんにメールしたら2時40分だった。

2008年3月26日

●純米酒・THE幸村、納品になる

『ほっとステイ』の冬バージョンパンフの原稿作りが急務になってきています。4月3日に大阪の三船さんのところに行ってアドバイスを頂き、その週に印刷発注していかないと春の商戦に間に合わなくなるからです。これに間に合わなくては折角作っても来年になってしまいますから、営業戦略の問題になってしまいます。

10時に信州銘醸の滝沢さんが、待ちに待った純米酒『the幸村』の納品にやってくる。10時30分にトラックがお酒を積んで到着。今年の出来は当然昨年以上ですよ。改める部分は手を入れて対応していますから楽しみにしていましたが、そのお陰で色も酸度も向上しています。皆さんご賞味ください。

11時30分過ぎ、伯母さん宅の改修工事について入所先を訪問し、一時帰宅と云う形で自宅に連れ帰る。お昼をレストランで取り、歯医者にかかりたいと云うことで、電話を入れたら来て良いですよと返事をいただいたので、鹿教湯病院の歯科にかかりにゆく。

待ち時間を使って病院前のホテルへ寄り込む。知り合いの斎藤さんが運よく居たので話し込む。1時間も寄り込んだことになってしまった。悩みはどこも同じで、やるかやらないか行動をするかしないでも居られるのか、ですね。人と同じ歩調でいられるのか居られないのかを判断すれば分かることで、体力があるうちにやらないと本当に駄目になってしまいますよ、とアドバイス。

2時30分過ぎ自宅にたどり着き、工事個所の着工前の写真を撮ったり春物の着る物を箪笥から取り出したりし、4月末には帰れるのに早く帰りたいとの『里心がついていけないね』と冗談を言いながらお茶を飲んで4時に入所施設に帰る。

5時に事務所に帰り、再び冬バージョンパンフの原稿作成。夕食も済ませて仕事し、第一案をメールして自宅に帰ったら1時20分だった。


2008年3月20日

●白樺湖・車山宿泊施設

9時から行われる、信州しあわせ村真田のほっとステイ受入での学校下見に、助言者として大高木さんに行って貰う。まだまだ説明等に落ちが有るといけないので、ご苦労様です。

朝一番で長和町の山口さんのところへ、農作業の件で確認作業に出かける。用件が済んだところへ、NPO法人を立ち上げる準備をしていて、相談に乗って欲しいと申請書を見せられる。農業が深刻な状況になっている中で、素晴らしい姿勢に圧倒されるが、大変さは変わりないので頑張ってくださいと言ってくる。

9時30分、お袋さんと女房と連れだって長和町老健施設『いこい』へ行って、丸子の伯母さんと退院後の自宅での住まい方について話し合う。改造のことも今迄は『大丈夫だよ、やらなくても良いよ』と圧迫骨折が癒えて来たので、自分の体力が戻ったと言い張っていたのでした。

『退院しても、今度転んだら必ず骨折に繋がるから、」転んでは絶対駄目だよ。転ばないように、背伸びをしないようにしなければ駄目なんだよ。今度怪我をして入院する羽目になったら二度と自宅に帰れなくなってしまうからね」。

床の段差解消、手摺りやサンルームを設けて動きやすくするために工事をやることになる。

地方事務所へ提出する書類を訂正を始める。

午後1時に家を出て白樺湖へ。1時30分、亀屋ホテルさんで平岡支配人と、冬の学習旅行誘致について意見交換。考えていることは私と同じなので助かります。

そのあと2時40分、車山高原へ行き、ペンション・トスの前川オーナーと「観郷ウォーク」の件で『車山周辺でコース設定しませんか』とお勧めする。『以前からお聞きしていて、是非やりたいのでお願いします』となり、どういうメンバーで始めたらいいのか悩んでいた。一言助言。そんな方向でやり始めて行きますと返事を頂く。

3時40分、車山高原のホテル『リゾリックス』へ行き、吉澤さんと『観郷ウォーク』と冬の学習旅行誘致について意見交換。どんどん進めて行きたいので協力して下さいとお願いされる。力を合わせて取り組みましょう。

6時前に辞して外に出ると雪が降っていた。そこへ菅平の大久保さんからケータイ。昨日の会議資料を見て感激してよこしてくれた。熱いものが通じる人は頼もしい限りです。頑張って明日につなげましょうね。7時に帰宅。


2008年3月19日

●第26回桃源郷街道実務者会議

朝日新聞社が後援して募集している『日本のさと・100選』の応募書類を朝から作り始め11時過ぎに終わり、申請先に送る。我が旧武石村を一つの里としてとらえて『信州・思い出の里』として申請しました。今月末が締め切りになっていますが、ネットで見たら、すでに1000件を超える応募が寄せられているとのことでした。私の応募も2次審査に残れるのかまったくわからない状態です。何かにすがりつかなくてはいけないかな。

11時30分、午後の会議資料を作成し公民館に製本を依頼しに行くと、公民館長が話しかけてくる。『ほっとステイを武石小学校でやる話の件だが、前に話しが出た時に、「どこの子供だい」といわれるので駄目だと云う事があったそうだが、どうだい?』と。

『へえー、そんな事が有ったのですか。知らなかったですよ。でもそう云われますね、受け入れ家庭には、当たり前だけど本当に。だけど「云われるから嫌だ」でなく、尋ねられても自信もって〇〇の家だと答えられる生活や躾をやっていないといけないんじゃないですか。地域社会が関わると云うことはそう云う事でしょう。保護者が受け入れ家庭に云われるのが嫌だから、やりたくないでは、地域社会は子育てには関われないでしょうね。困ったですね。でも無理しなくていいですよ。』

1時30分から第25回桃源郷街道実務者会議が武石公民館で開かれる。5時05分終了。

ここのところで、メンバーが参加してきた商談会や招待体験会の評価と反省を報告し合う。そのあと、これの質疑応答を後回しにして、桃源郷街道が目指している事を再確認する為に、皆で作成してきた資料の文章に目を通して自覚し合い、発表した内容について意見交換。目指すところを再確認して話しあえば、実りある話がしっかりできます。商談会や体験会は収穫のあった事業でした。

観郷ウォークや元気作り支援金、大学連携、広域観光働きかけの件等沢山あり、ダラダラ会議をやっていると終わりませんので、毎回のことですが真剣に話し合い、来月の第26回実務者会議は王滝で4月13日に開催することになった。

会議終了後、真田の山崎さんから『明日、学校の下見があるので本部から顔を出していただけますか』と尋ねられ、行きますよと返事。あとで話し合った結果、大高木さんに行って貰うことになる。

そのあと青木の沓掛さんが事務所に立ち寄る。今回の青木での体験会の報告を受ける。話し足りないということです。(むらおさの宮下さんがあばら骨を骨折。肺に傷をつけてしまって、入院は1週間ぐらいだそうです。しっかり養生してくださいね)

2008年3月17日

●王滝・中国、そして上田城千本桜まつり

朝方、王滝の体験会をの結果を大高木さんが伝えにやって来た。まだまだ受け入れ組織の代表者を始め皆さん方の「顔が見えない」ことを憂慮していた。先方に伝えてきましたかと尋ねると『云っては来なかったです』。改めて私の方から伝えておくことにする。

地方事務所から道の駅のイベント参加を求められ、参加することをメンバーに伝える。教本とマップを配るようになり、桃太郎旗を立てても良いそうなのでうれしいですね。

中国深センから夏に「ほっとステイ』にやって来る学生さんの体験として、鹿教湯(カケユ)温泉での病院見学や施設見学を観光協会の恵崎常務理事に伝え、『先方にあたって欲しい』と依頼される。長和町の「和紙の里」の紙すき体験や「黒曜石ミュージアム」の加工体験はそのまま中国側に伝えますと言っていただく。見学の件を鹿教湯温泉の旅館組合長に伝え、段取りをしてみて貰い返事を下さいと伝えておく。

信州銘醸の滝沢さんから上田城千本祭りの出店に関して、私たちで手配していたことが上手くいかないと連絡を受ける。酒販を簡単に考えていたつけが払わされたようなことになってしまう。皆さんに迷惑を掛けてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいです。でも自惚れていたわけではなかったはずですが、思い込みが強ければこうなってしまいますね。反省、反省です。思いどおりにいかないのはお天道様が『おまえ、まだ早いよ』と微笑まなかったのだと諦めるしかありません。

老健施設に入所中の伯母さんのところへお見舞いをしながら、住宅改良をどこまでやるのかを確認させてもらう。千曲市の叔母さん夫婦も来ていて一緒に相談に乗って貰い、段差を取り除く仕事を優先して行うことになる。早く家に帰りたがっていて、気の毒なぐらいです。もう少し(4月一杯)待って下さいね。

2008年3月15日

●原村・農業実践大学校に学ぶ

9時30分過ぎ、久し振りに岡谷の友人宅へ用事兼遊びに行く。用事を済ませて『どこかに行こう』となって、後学のために(学習旅行の受入を行っているので、沢山の受入をやっている地域を見たい)原村の『八ヶ岳農業実践大学校』に行くことにする。

諏訪市・茅野市を通って原村に向かう。此処の地、八ヶ岳の裾野に広がる風景は、私達東信(東信州)とは全く違う風景です。まるで同じ長野県でも別世界に来たようで、北海道で昔、接したことがあるかなと思いだしてしまう。

なだらかな傾斜で、畑が大きく広がって続いていて、所々に林が見え、固まっている集落の向こうには、遠く離れて低い山が連なっている。田圃はと言えば、畑の間の低地にかろうじて見て取れるぐらいだから、よく見ないと判らない。水には苦労したことが想像できます。兎に角、開放感のある広大な大地になっている風景は、長野県でも此処だけでしょうね。

11時に原村の八ヶ岳農業実践大学校へ到着。この大学校には農業という仕事に就きたい人がたくさん居て、高卒・大卒・Iターン・定年帰農と有りとあらゆるケースの人が農業を目指して、農業実習しながら学び、働いています。そして地域特性を活かした酪農・養鶏etcが有りますが、ただ単なる飼育だけでなく、加工も学べます。色々な事が学べていいですね。

冬なので各施設は閉鎖されていて自由には見えませんでしたが、直売所がただ一箇所開いていました。ここには大学校で生み出される野菜から始まりミルクやチーズ、パンやお菓子類まで所狭しと並んでいて、冬以外の時期の盛況さが偲ばれる品揃いです。

喉が渇いていたのでアイスクリームを買い求め頂きましたが、最高。良いですよ。ハチミツも農場の直ぐ下で飼育されていますとのことで買い求めました。先日のハチミツとは大違い。こんなに違いがあるのに、先日の品もハチミツで通るのですから厭になりますね。

その後、原村のお隣、富士見町の蕎麦の活性化施設『おっこと亭』で昼食に蕎麦を食べる。結構な数のお客様がいて驚きます。車のナンバーを見ると、首都圏からも来ていることが判ります。中央道の脇にある立地条件の良さが、武石と違って羨ましい限りですね。蕎麦は美味しかったですが、「揚げ蕎麦掻き」も美味しかったです。

折角此処まで来たので、山梨まで足を伸ばしてみようと、山梨県境まで行ってみることにして、道の駅『蔦木(ツタキ)宿』でお茶を飲み、いざ山梨県へ。

急カーブの下り勾配の国道を下って山梨方面にいくと、県境の橋に辿り着く。『この橋が県境だ』と懐かしさが甦ります。長野県と山梨県の境の、標高差と隔てている川。高速道路が無かった時代、この道を通っていた頃の事が鮮明に思い出されます。東京へ行くときも帰るときも、此処を通過するたびに風景が変わり、違いに驚かされていた38年前頃から5年間ぐらいかな。

王滝村に行って体験会に参加していた大高木さんから無事に終了して、お見送りをしましたと連絡が入った。ご苦労様でした。上手く行ったようです。

最後は、茅野市の『尖石遺跡』に立ち寄る。国宝の『縄文のビーナス』が出土した事で有名ですが、ご存知ですか。縄文時代や弥生時代といわれた日本人の先祖の暮らしぶりに、現代人が見習う事が沢山ありますが、『現在の生活価値観では難しい』となるのでしょうが、これからの人間の暮らしには避けて通れない事に気が付かせて呉れますが、如何でしょうか。行ってみて下さい。

2008年3月14日

●観郷ウォークin青木

朝食も懐かしい昔料理。我が家のいつもの食事を思い出しながら頂く。8時30分、観郷ウォークが始まる。昨日のほっとステイ体験に引き続いて、招待体験会で12人の参加者が5分間隔で2班に別れて出発して行きました。

観郷ウォークの仕方は、設問ポイント8か所と地域住民に聞く設問2か所の合計10ポイントで、1ポイントに5問ずつありますので合計50問を、5kmを歩く中でその設問を解いて歩きます。コースを回る所要時間が決められていて、その時間より1分早く着いても遅く着いても減点1となります。

出題されている問題は環境問題、食問題、健康問題、地域問題となっています。自分の知識や同行者の知識を集めたり五感を使って解く問題が出され、班員同士の会話が無いと点数が取れないようになっています。

所要時間は2時間。私が同行した班は最後は駆け足になってしまいましたが、6分遅れでのゴールとなり、お気の毒でしたが減点6となってしまいました。話しが弾んで歩く速度が遅すぎたのでした。中間点で5分遅れでしたので、速く歩きましょうと助言したのでしたが、矢張り話がおもしろかったのですね。

ほっとステイも観郷ウォークも目指すところは、人と人とのふれあいを楽しみましょうと呼びかけています。知らない場所へ行って、知らない人と、自分の知らないことの話題を話す面白さはやってみないと解らないことだと思いますが、たくさんの教えに触れ合うことが人生を豊かにしてくれます。参加してみませんか。

みんなで採点した結果、最高得点は74点(減点6ですが)。ブービーは62点でした。優勝者には「マイタケ・大箱1箱」が贈られ、貰った人は当然大喜びですが、2位、3位にも贈られ、それぞれに商品を貰って喜んでいました。

昼食をいただきながらアンケートに答えて頂き感想をお聞きしたところ、皆様方から過分とも思えるお言葉を頂戴してしまうが、私たちが思っている形が評価されたものと喜びあえるものでした。

食後、上田駅にお送りする人と別所温泉へ送る人たちに分かれたので、私は別所温泉へお送りする。別所の佇まいに喜ばれ感謝され気持のよいご案内をさせて貰う。

その後上田市内の後藤先生宅へ伺い、住宅の改修計画の相談を受け、4時過ぎに帰宅。さっそく〔じゃむや:宮下〕さんから電話が入り、ビンのデザインと広告掲載について話し合い。更に茅野市観光連盟の横川さんからの電話で桃源郷街道のメンバーと「連絡を取り合い意見調整。21日に長野県庁に伺うことになる。宮下さんがやってきて話しをし終わって、松本の県工業研究センターの北沢さんと経産省の補助事業申請について手続き方法を相談。新たなthe幸村ができていくのか楽しみになります。

2008年3月13日

●真田・青木の体験会。the幸村分析結果

しばらく事務処理をやってなかったので行う。横関さんが9時25分過ぎ、奥さんとやってくる。お茶を飲みながら、the幸村に関してのこれからの進め方について話し合う。

先日、信州銘醸さんで絞って貰った『the幸村』の分析結果が滝沢さんから送られてきた。

アルコール度数17.7度(昨年は17.3)日本酒度-2.5(同-5)、酸度2.9(同3.1)でした。
一般的にはアルコール度数14~15、酒度±0~+5、酸度1.5位が普通なので、私たちのthe幸村の数値がいかに違うかがわかりますね。

数字で云っても分からないので言葉で表現すると、アルコール度数17.7度(普通は14~15)ですから、強いお酒ですね。日本酒度-2.5(同±0~+5)ですから、スッキリ辛口でなくコクがあります。酸度2.9(同1.5位)ですから、酸っぱさが強いのです。

これを飲んでみると、香りが高く、のど越しがいいので、ワインのような感じで飲めてしまいますので、アルコール度数が高いために酔いが強く、『危ない(酔っぱらってしまうので)お酒』となってしまいます。

王滝で15日に行われる観郷ウォーク開催について長和の柳沢君に連絡をして、先日の長和の資料をメールで送ってもらい出題調整。大高木さんが出向くので、大阪にいる大高木さんに連絡、打ち合わせを行う。

4時15分、青木村の道の駅に到着。体験者の到着を待って、宿泊旅館の「富士屋ホテル」に行く。5時30分からほっとステイや観郷ウォークの勉強会。私の「ふるさと回帰予備校」の教本を使っての講演。真剣にお聞きしていただいた。7時から懇親会。農協観光の塩野さんから、何回も『皆さんの活動に感激しました。皆さんの商品提案に感激しました』とおっしゃっていただく。ありがとうございます。富士屋ホテルでは久し振りの日本料理を頂く。とにかく昔料理で、懐かしさを覚えてしまいました。

2008年3月12日

●ほっとステイ体験会と中国からの学校交流申込

9時30分、受入家庭の上原さん宅へ『ほっとステイ体験者』をご案内し、お願いしてくる。

事務所に戻り、中国・シンセンからのほっとステイ予定の小学生の資料を持って、地元の武石小学校へ行って、堤校長先生に受け入れを打診する。

先生からは、学校交流も県の詳しい話しを聞いて、最終判断をすると言うことで一応了解を頂く。一安心です。そして以前から申し入れていた、地元の子供達の『ほっとステイ』体験をしませんかとの提案が、来年度から『おこなってみましょう』と良いお話しになった。アリガトウゴザイマス。

自宅で昼食を取り、上原さん宅へ体験して貰っている人達を迎えに行き、公民館へお連れする。原田さんは諏訪の地方事務所の高木さんに託しお別れ、私はほっとステイの詳しい説明を1時間30分おこなう。

日本旅行の佐々木さんは、この3月27日に車山でおこなう『教育旅行担当者の研修会』で、武石に来て、再度参加者に説明して頂ければ嬉しいですねと提案される。

是非お願いします。各地の責任者にも出席して貰って、名刺交換をさせて下さいとこちらもお願いする。双方の思惑が上手く一致すれば良いですね。

3時30分に上田駅にお送りし、事務所に4時過ぎ戻り、事務処理。

2008年3月11日

●観郷ウォーク体験会・純米酒the幸村、絞る。

7時20分過ぎ、宿泊したホテルを出て、上田駅に8時40分着の日本旅行の佐々木さんを出迎えに行く。

9時15分、長和の「マルメロの駅」に到着。観郷ウォークのルール説明を受けて9時40分、3班に分かれて競技開始。11時52分全員がゴール。

12時10分、「和紙の里」で昼食の蕎麦を食べながら、採点と解説、表彰式を行う。

原田さんと佐々木さんを乗用車に乗せて鷹山の「黒曜石ミュージアム」で施設見学。その後姫木平のペンション街を視察。「ここっと」さんに寄り込んで内部を見せて頂き、地域の紹介を受ける。

4時に丸子の長瀬の酒造店・「信州銘醸」さんで、仕込んで頂いていた寒晒し純米酒『the幸村』の絞り作業に、大高木さんも加わって立ち会う。今年の出来具合は、お酒の数値の日本酒度・酸度・アミノ酸度は昨年同様の様ですが、色が今年は磨りが良かったので薄く仕上がっていました。

私以外は運転行為が無いので試飲したが、飲んだ人はこれだけではよく分からない、と云うような事を言っていた。(不安ですね)

5時30分、白樺湖の『八子ヶ峰ホテル』到着。ほっとステイの受け入れを勧めて頂き、またその宿泊施設となる館内を見て、6時30分よりほっとステイの説明会。引き続き懇親会。試飲の際、コップ一杯分を頂いてあった寒晒し純米酒『the幸村』を、参加者で分けて飲んでみる。皆『これは旨い、良いですね。本当にアブナイお酒になってしまいますね』と言って頂く。良いお酒なのかな?と疑っていたのですが、本当に良かったです。

2008年3月10日

●立科・長和の講演会

朝から電話連絡のしっぱなし。休み続けていたつけが回ってしまっている。

13時に税務署で酒類販売の移動販売申請書を貰いに行く。説明を受けたあと、知人の所へ顔を出し、上田公園前のお店を、千本桜祭りの期間中にお借りし、「寒晒し純米酒・the幸村」の売り出しに使わせて欲しいとお願いし、了解を頂く。

14時に地方事務所商工課へ行って、坪井さんに地域を越えた観光の推進に協力を要請する。次に庄村さんに寒晒し蕎麦焼酎と寒晒し純米酒の販売について、経済産業省の支援事業に該当するので申請をするかどうかを相談。申請を薦めましょうと言う事になる。

地方事務所での話しを切り上げ、上田着3時18分の電車でお越しになる大阪の原田さんを出迎え、4時30分、白樺湖の池ノ平ホテルへご案内し、私と一緒に、立科・長和のほっとステイ商談会に参加。

5時から私の講演が1時間。そして6時30分から懇親会。ふるさと回帰に対する熱意は皆さん凄いものがありますね。各地の宿泊施設の人も参加してきたので良い意見交換ができ、有意義な時間を過ごすことができました。一度は泊ってみたかったホテルなのでここで宿泊する。


2008年3月 7日

●真田から体験者が

朝、昨日までの私の九州博多商談会と熊本キャラバンと、大高木さんの5日の東京商談会に参加して得た情報を話し合う。

私達の行っている「ほっとステイ事業」が東京での講演会で『これからは・・・・』と示唆されたとのこと。説明会場では『私達は今の講演されたことをやっています』と商品説明を行って来たと自慢していた。

私の方は昨日までの動きで判った、茅野市を含めた範囲でルート化しなければと茅野にも伝え、これについて観光協会まで巻き込んで資料を作りましょうということになり、観光連盟が話しにのってこなくても、こちらは独自で行いますと伝えてきたと話す。

8時50分、公民館へ真田から「信州しあわせ村真田」の余頃さんと山崎さん、大久保さんに引率されて『ほっとステイ受入家庭』が、武石の受入家庭に入っての体験会に11人がやって来た。

小沢根の桜井さん宅と小寺尾の宮下さん宅へ案内し体験して貰う。ありのままの体験を提供する事に対して理解をするために来たのですが、良く理解して貰ったようだった。作業は両家とも「剪定枝の片付け」を行う。

2時30分から公民館をお借りし、信州せいしゅん村から受入家庭に伝える大事な部分の説明を対談を含めて講演させて貰う。4時迄まで。

昼食後、℡をしっぱなし。
亀屋ホテルの平岡支配人と資料作成、県観光協会の小林さんと台湾からの修学旅行、長和の森田さんと小学校の学校交流、立科の吉澤さんと長野県庁行きの件。ほかに中川大工さん、後藤行政書士。2時20分、真田の打ち合わせにやっとこ間に合うような状態だった。

真田の一行をを見送った後、再度大高木さんと朝の打ち合わせの続き。松本の「長野県工業技術総合センター 情報技術部門 情報システム部 主任研究員 北 沢さん 」と第2回キッズデザイン賞の募集案内が北沢さんからきていたので、電話し北沢さんの考え方等をお聞きし、前向きに検討していくことにする。

夜は、水野さんから長野県デザイン協会の長野県デザインアワードと北沢さんが薦めてくれた経産省のキッズデザインについて話し合う。ヤルとなれば忙しいですね。


2008年3月 6日

●7時間の列車の旅

今朝は8時30分にロビーに集合、9時に一校目にお邪魔する。今回の修学旅行キャラバンで伺う学校は皆私立で校舎も先生も生徒さんも素晴らしいので感心してしまいますが、この学校さんも幼稚園から高校までの一貫校で、応接室には高校生が獲得した優勝旗やトロフィーが所狭しと並んでいた。各種の活動への思いと成果が示されていて、驚くばかりです。

二j校目は生徒数500余人を数える学校さんです。教頭先生は白樺湖をよく知っていて親しみが湧く様です。何回も行っていたそうですが、現在は違う場所へ行っているとのこと。

理由をお尋ねすると、入試方法が変わり、前期後期の2回になった影響で、試験を中学校と高校が2回づてに行うので、4回あるようになり、入試を1月には行うことができなくなり、12月にやるようになってしまったと言っていました。そのため積雪に不安のある地域には行かれなくなっているのですとお話しを頂く。これには困ってしまいますね。どう対処しましょうか、本当に困りますね。

スムースに訪問が終わり、予定を早めて帰宅行動に移ることにする。大分に行っている青木の宮下さんに連絡を取ってみると、向こうも予定を終了したとのことで、時間を早めて帰ることにする。

私は熊本発11時55分で博多でのぞみに乗り込み、小倉で宮下さんと合流。名古屋で中央線に乗り換えて5時発で松本到着7時07分。7時間の長旅でした。

列車の中では宮下さんとキャラバンで得た情報を分析しあい、茅野の横川さんと意見交換し、早急に対処しようと云う事になった。なるべく早くしましょうね。

2008年3月 5日

●熊本で学校廻り

朝8時15分博多発、熊本行きの電車に乗る。熊本市内の私立高校へ伺って長野県への修学旅行をお勧めするキャラバンです。

電車に乗って驚き。内部が飛行機みたいな内装や収納になっていて、『今日の運転手は・・・、車掌は・・・、客室乗務員は・・・と・・・です。よろしくお願いします』とアナウンスです。列車内を歩く乗務員のいでたちはスチュワーデスとソックリです。物品を売り歩くときには着替えをしてきます。JR九州の向上しようとする努力には敬服するしかありませんね。

9時30分に熊本駅に到着しレンタカーを借りて市内をカーナビを見て訪ね歩く。行く先々の私立高校はどの学校も素晴らしい建物で、しかも生徒も礼儀正しく、こんな学校もあるのだなと感心することしきりです。

学校側は校長先生や教頭先生が対応して下さいます。そして熊本県ではスキー修学旅行をどこの学校もやっていることを話していました。しかし、教育旅行としてスキーでの学習効果を評価しなおさないといけない時になっています、と云うような先生もいて、同行している白樺湖のホテルさんたちは驚いてしまったようです。

でも、私が『ほっとステイ』の紹介をして、学習効果事例をお話しすると、『これがいいです。これが組み合わされれば良いんですよ』と、気持ちよいほどのいい評価をしてくれます。有りがたいお話で、こちら側としてもつい力が入って、詳しい説明を繰り返してしまいました。(同行者の皆さん、時間を取ってしまってすみませんでした)

昼食は『水前寺公園』で取って、4時過ぎに予定を終了し、オープンしたてのホテルに入る。こんなに気持ちの良いホテルに泊まったのは初めて。地酒を飲んでぐっすりと休む。

2008年3月 4日

●九州博多にて

朝5時30分に家を出て、松本駅へ大高木さんに送ってもらう。今日から三日間、九州で学習旅行誘致推進協議会のエージェント商談会とキャラバン隊への参加です。

7時07分のしなのビュー2号の特急に乗り込み、来る途中の明科駅から乗り込んでいた青木の宮下さんと菅平の大久保さんと合流。名古屋9時着。名古屋から新幹線のぞみに乗り換え、九州の博多着13時。

13時30分からエージェント招待商談会が始まりました。県観光協会の恵崎常務理事の開会の挨拶から、各地の参加者の地域紹介。私は茅野市の白樺湖と車山のホテルの皆さんと一緒のグループです。地域の紹介とホテルの紹介、そして日帰り体験『ほっとステイ』を紹介して、皆さんが終わるのを待って、2時40分から各地のブースで商談会となる。

商談会に入って、他地区に先駆けて、真っ先に私のところにお客様がお見えになる。阪急交通社のお二人さんでした。『小林さん、こういうものを探していたのですよ』。嬉しいですね、泣けてきてしまいます。さらに観郷ウォークも詳しく紹介すると『これは参ったなあ、これは一番いいですね』と表現して頂く。

他のエージェントさんにも説明して見るが、概ね好評です。来た甲斐があったとほこの事ですね。誘客に繋がって欲しいです。

青木の宮下さん達も手応えがあったそうです。

夜は宿泊したホテルの1階で食事をしながら反省会。もっと売り込もうとなる。


2008年3月 3日

●木曽郡王滝村にて

寒晒しした玄蕎麦を10kg量って農協へ製粉に出す。今日の3時には仕上がるそうです。精米の歩留まりや品質の出来を試したいので、近々打って食べてみます。

9時15分、大高木さんと二人で木曽郡王滝村に出かける。今回は『信州おんたけ村』のメンバーの皆さんや役場の皆さんに、10年前から始まった私たち信州せいしゅん村の地域活性化活動の動き考え方をお伝えし、行政と一体になった地域活動への取り組みを目指て欲しいと、こちらから呼び掛けて実現しました。12時20分に到着。

12時30分に『信州おんたけ村』のメンバーが集まり事前打ち合わせ。勉強会は1時から始まる。参加者は役場から教育長と再建室長や4人、おんたけ村のメンバー5人、受け入れ家庭4人。

何故、民間でやらなくてはいけないのか。何故、有志が始めなくてはいけないのか。何故、この取り組みから始めなくていけないのか。何故、協働作業にならないのか。何故、誘客活動をしなくてはいけないのか。何故、組織化をしなくてはいけないのか。何故、将来を予想をしなければいけないのか、のテーマについて、私からの一方的な発言のあと、活発な意見交換会というか話し合いが行われ、4時まで行い、解散。その後、胡桃沢さんたちと話し合いをさらにして、4時20分帰路につく。7時30分帰宅。

今日の勉強会が成功して呉れればと願っていますが、行政側に思いこみというか、間違った印象が強く残っていて大変ですが、どうでしょうか。

2008年3月 1日

●信州大学感性工学科で

食後7時30分過ぎ、田圃に降ろしてあった剪定枝を、消防署に連絡を入れて、焚きあげに行く。9時10分までやっていてほとんど燃やしてしまったので、急いで自宅に戻る。大高木さんが待っていたが、メールを見ると横浜から、体験会に参加したいと女性から連絡が入っていたので、返信を出して9時30分家を出る。

10時に上田の信州大学繊維学部感性工学科の上条先生の所に伺う。先方は松本から工業センターの北沢さん、こちらは立科の吉澤さんと大高木さんの5人で、私たちの取り組みの延長上にある、癒され度の取り組みについて、今までの活動の考え方ややりから説明し、今後の協力を依頼する。

積み上げてある実績が証明するこれらの事実を、どう受け止め、どう生かすかを相談に上がったのですが、本当に驚いていた。活かし方は3通りありますねと云う事で、私たちの求めていることに協力と云うよりも、勉強させてくれと云うような言い方になってしまいました。次年度から積極的に取り組んで頂けることになりました。

12時過ぎに部屋を出て、外で吉澤さんの車に『ふるさと回帰予備校』の教本500部を移して別れ、私たちは学校を出て、大高木さんと昼食を取りに、有名な蕎麦屋さんに行ってみる。2年ほど前に建て替えられたこの蕎麦屋さんは、いつも繁盛していて、なかなか入れない状態のお店です。

蕎麦の盛りがいいことが有名で、大盛りなどとても普通の人では食べられる量ではありません。だから7割蕎麦だと言っても、人気があるのかもしれませんね。

でも残念なことが一つ。目標と書かれているので嘘を書いていると決めつける訳にはならないかも知れませんが、20ヘクタールの自家農園で70トンの収穫目標と、お店の紹介パンフに説明されていましたが、こんなに取れるわけは絶対ありえません。普通、蕎麦の反収は(1反歩=10アール当たり)80kgです。だから20ヘクタールでは16トンが目標数量なはずで、多くみても20トンでしょうね。玄蕎麦の使用量がどのくらい化は分りませんが、わざと間違えているような印象を感じました。もっと正直に書いてほしいですね。

1時30分、再び信州大学の構内へ。第6回長野県感性工学研究会に出席。『エコール・ド・まつしろ』の仕掛け人の石川さんの講演が有ったので、興味深くお聞きさせていただきました。どこでも苦労はしないと評価されるようなことにはならないですね。考え方は矢張り私たちと同じ。行動原理も同じ。頑張りましょう。

講演後、今年度の課題と次年度の計画。春には私たちのほっとステイや観郷ウォークを体験して、共に汗を流し、感性の共有化を図ることをしたいと、計画の中で予定を立てるそうです。

会議終了後、地方事務所商工課の庄村さんと帰り際に話す。地域資源活用支援事業の申請をしていったらどうですかと勧められる。良くお聞きして考えてみますと返事をする。5時30分、大学を出る。

家にたどり着く前に、朝やった剪定枝を焼却した田圃に寄ってみる。見事に燃え尽きて灰になっていたが、灰をひっくり返してみると、『おき=炭火』の火種がたくさん残っている。これが火事の元になってきたのですね。昔、「紙袋に入れた取り灰の残り火で火事になった」ことが何回も発生したのを思い出す。怖いですね。


2008年2月29日

●事務所で話が弾む

朝一番で武石地域自治センターに『ふるさと回帰予備校』の教本を届ける。そのあと商工会に同じ様に届け、教育事務所にも届ける。

教本を送り届けるリストを作成。各所に送る。どんな反響が寄せられるか楽しみです。

〔じゃむや:宮下〕さんが、毎日新聞への広告掲載について相談に来る。宮下さんだけで負担して広告を出すか考えてみたいとのこと。ただ広告は統一した名称を使った方が広告効果が上がるとの認識では一致。今後どうするか検討をしていくことになる。

信州大学感性工学科の上条先生と、今計画している桃源郷街道の評価判定について、明日の1時30分からの研究会に先立って、10時から信州大学の繊維学部の研究棟でお会いし、話をすることになる。工業試験場の北沢さんも同席して貰うことになる。こちらも吉澤さんと大高木さんが同席して話し合います。

3月4日に県観光協会主催の九州での商談会が行われるが、その足で5・6日に訪れる熊本の県立高校が入試で訪問できないことが判って大慌て。青木の宮下さんたちは大分県に訪問先を変更することになったが、私たちだけは熊本の私立高校へ行くことになり、複雑な心境です。

〔ぶどうや:鈴木』さんが、寒晒し作業の件で、午後一番で打ち合わせに立ち寄る。広告方法や法人化、農作業、農法、品種の話が弾み、長引いてしまい3時を回って帰る。冬だから暇だそうです。

奈良の横井先生より内閣府の行う予定の事業の資料が送られてくる。読んでみると私たちが目指している方向に合致しているのですが、申請して採択してもらうには大変な仕事になると思う。
良く考えてみないといけないです。

依田窪南部中学校の依田教頭先生と来年度の授業で、協力してやることができないか検討していますと呼びかけられる。是非やりましょうと返答する。

2008年2月26日

●肺ガンで、手遅れ。手術ができない。教本が届く

朝からほっとステイ受け入れ家庭に配布する確認書の手直しを行う。9時過ぎに大高木さんもやってきて筑波の農林省の研究室へ電話して、グルテリンの分析の件で話しをする。昨日の新潟県燕市の施設を、ここが一番いいですよと紹介してもらい、電話を切る。良かったですね。

ほっとステイ確認書を配信後、税理士事務所の横関さんに見直しをしてもらったらまずい部分が見つかり、文言を一部訂正しなければいけなくなった。また手間がかかります。

マップを見て、昨日漁業組合の井出さんが電話を寄せてくれ、今日再度電話をいただく。マップの中で『スイメン=箱メガネ』を使っている写真を見て『違法漁を行ってはいないですか。モリを使って魚を捕ってはいけないですよ』とのことだった。勿論やってはいないし、受け入れ家庭にもだめですよと注意して使ってもらっていますと返事をする。『子供たちが川で水に親しまなくなって困っているので、大変結構なことですが、十分注意して楽しんでください』と楽しむことは喜んでくれた。

11時過ぎに、信州せいしゅん村のメンバーで、〔だいじん:伊藤誠吾〕さんがやってきた。てっきり佐久総合病院に入院していると思っていたのでビックリしてしまう。『あれぇ、どうしたの』。『追い出されて来ただ』。『えぇ、どうして。手術が終わって、落ち着いたらお見舞いに行こうと思っていたのにさぁ』。『肺ガンの手遅れだってさ。調べたら心臓に肺ガンがくっ付いていて、手術ができないだと。放射線治療も心臓があって放射できないんだってさ。抗がん剤治療をするだけの人は、ベッドが足りないので退院してもらって、通院をして貰いたいんだってさ』。『え・・・・』

昔から伊藤さんは気丈な元気な人です。メンバーリストでも紹介しているのですが、市役所を退職してこれからせいしゅん村活動に協力させてくれと申し出され、期待している人なのに悪魔に取り憑かれてしまったわけで残念です。『何かあったら連絡を呉れや。できることは協力するで』。と言ってお帰りにおなる。又よろしくお願いします。

ふるさと回帰予備校の教本が午後届く手はずになっていて、1時過ぎ、置き場所を確保する作業をやっていると、デザインルームム社長の水野さんが受け渡しの立ち合いにやってくる。ちょっと遅れますがといわれたので、事務所に寄り込んでもらってお茶。

そこへ中川さんと北原さんがふるさと回帰予備校の看板を掘り上げたのでと看板を持ってくる。
更に、増子塗装さんも教本と寒晒ししたお米を受け取りにやってくる。居合わせたみんなで看板の仕上げ方法を話し合い、再度中川さんたちに持ち帰って仕上げて貰うことにする。

ふるさと回帰予備校の教本5000部が届く。7人で手渡しで運び込む。ご苦労さんでした。事務所で封を解き、仕上がり具合を確かめながらお茶を飲み、ワイワイガヤガヤ。良くできた教本だと思います。県庁へ電話して、明日お届することになる。

増子さんには寒晒ししたお米をお渡しする。腎臓病に効果のある低タンパク米で低グルテリン米の『春陽』ですから、さらにお米の機能は高まっているはずです。効果が出るといいですね。

5時、伯母さんの入院している老健施設へ出かける。だいぶ慣れてきた様子で安心しているのですが、3月いっぱいで家に帰ると言ってやみません。主治医は4月いっぱいはいて貰わないと、回復しませんからといわれているので困ってしまいます。説明するとわかるのですが、すぐに忘れてしまうようです。仕方有りませんけれど。

そのあと、入院しているお袋さんのところへ顔を出す。入った時より半分ぐらいの痛みになったらしい。早く完治してくれればいいなあ。

帰宅したら〔じゃむや:宮下〕さんが立ち寄ってくれていた。『三宝柑』のジャムを作ったが、入れ忘れの失敗作と上出来作の二通りを置いていってくれました。味比べが楽しみになりますね。

2008年2月23日

●寒晒し純米酒の契約

8時20分、大高木さんがやってきた。寒晒し純米酒『The幸村』の醸造依頼契約を丸子の信州銘醸さんとする予定なので来て貰ったのですが、なかなか来ない。昨日の顛末をいろいろと話していても来ないので9時10分に電話。予定の人は、土曜日なので遠慮してわざわざ来なかった様です。

9時40分、漸くやってきて、醸造依頼の細かいことを取り決めしようと話しを始めようとしたら、先日持ち込んだ時に私が『今年は昨年の試験醸造価格と違い、量産するので100円ぐらいは安くなるのかな』と言っていたことを受けて、『安くならないのです。なお高くなってしまいます』とのことで、説明を受ける。納得するしかなかったです。

今年は1000本ぐらいできそうです。契約内容は昨年と同様、売れ残った分は私たちが引き取ることになります。これも仕方ないですが、ここまで受け入れて貰える酒屋さんは有りませんので、贅沢は言っていられません。皆さん、味は昨年以上だと保証しますから、ぜひお買い上げください。今年は信州銘醸さんもThe幸村の売り込みに秘策を練っていただいているようで、とてもありがたいことです。1時間してお帰りになる。

お米の分析の件で大高木さんと話し合い。昨日の断りにくじけずに依頼先を探し、結果を出していこうということになった。

昨日のおんたけ村でのほっとステイ事業の総会について、多くの皆さんが思い違いをしている部分がはっきりしてきたので、電話にて話し合う。早急に解決していくことにしていきたいと連絡をし、近いうちに会合を持ちたいと思います。

ほっとステイの件で青木の宮下さんから電話が入る。2回続きのお葬式で1週間費やしたが頑張りますと云っていた。私も頑張って取り組みますのでよろしくお願いします。外は大荒れの天気で、吹雪が舞い散る天気になってしまった。

3時に婆ちゃんと病院へ行っていた爺ちゃんから電話が入り、『婆ちゃんが緊急入院することになった』と連絡が入る。朝から頭が痛くて痛くて困ったと言って、診て貰いにいくと出かけて行ったのでしたが、最悪のことになってしまい、慌てて病院へ出かけて行くと、相変わらず痛がっていたが、話ができる状態で一安心。1~2週間入院して様子を見るようです。

5時、真壁さんの「こっこちゃん(鶏)」に、昨日精米して出た「米選下」の屑米を餌として、二袋持って行く。私の米作は消毒を掛けないので、どうしても病気が発生し、歩留まりが悪く、1割位出るのが悩みです。

2008年2月22日

●木曾・王滝村の「信州おんたけ村」総会

朝一番で精米所に行き、寒晒しして精米に出していたお米が仕上がったので、精白にしたお米と玄米の両方を貰ってくる。事務所で大高木さんと、このお米の成分分析をして貰うことについて話し合い。大高木さんには長野市の食品工業試験場で、分析してもらうように持参して貰うことにする。

9時30分、忘れ物を取りに帰って、それを持って、私達と活動を共にしている木曽郡王滝村の「信州おんたけ村」の総会に向けて出発。行く道中は一本道で追い越し禁止なので、ゆっくり走っている車があると、とても思い通りに到着しないのです。

途中昼食を取って、1時20分にギリギリ到着。王滝村村長も出席して頂いて1時30分に始まる。むらおさ挨拶、来賓紹介、規約説明、理事紹介、19年度事業報告、20年度事業計画(案)、
その他の議事を無事終えて、2時10分。

引き続き、ほっとステイの受け入れ家庭を対象にした私の講演。予定1時間で50分間を一方的話し、残りを質疑応答としたら次々と質問がなされ、終わったら3時30分でした。質問者からは『小林さんの話に感激しました』などと云う言葉も頂き、本当に皆さんのやる気が伝わってくる総会でした。

おんたけ村のメンバー、胡桃沢さんと下出さんのお二人とコーヒーを飲んだ後、4時から王滝村村長の瀬戸さんと役場でお会いし、県から派遣された増田さんが同席の上、お話しをする。

『ほっとステイ』の仕組みや目指すことは大変評価してくれたが、取り組む姿勢やサービスの提供の仕方に対して理解ができないようで、『私は(自分の理解が)遅れているのかな』の言葉を何回も発する。村長や行政の立場の人が、今までのようでは駄目だと思っているとは思うのですが、そこから先が進まないようです。

行政が一身に村の活性化の課題を背負うことはしなくても、できる人、できる人たちに担ってもらっても良いと思うのですが、そう考えられないようで困ったものです。これが理解できたとしても、次はその活動から得られる対価に納得いかないようで、『儲け仕事が目的だから、邪だ』と云うのです。

活性化活動の目指すところは最終的には、活動を行うことによって利益を得て、そこで住み続けていかれることではないでしょうか。利益を得て暮す事が出来なければ、住民は行政が求めていると思われる活性化活動を続けることによって、擦り切れてしまいます。行政として住民が擦りきれないように財政負担をし続けられては行かれないでしょう。

究極の活性化活動は、自活できることです。いつものことですが、自活できる計画で活性化活動に取り組めば、思わぬところに障害があるとまたも感じさせられました。

5時45分、役場を出て、外で真田の余頃さんと20分電話し、帰路に着く。運転しっぱなしで9時少し前に我が家に無事到着。

大高木さんに頼んでやってもらう予定にしていたお米の分析は、依頼しようとしていた先が、その分析はできませんとのことで、断念していてくれた。どこで私たちの目的を達してくれるところがあるのだろうか?

2008年2月21日

●悩みは次々と襲ってくる

先月中国からほっとステイにやってきた添乗員の王さんからメールが入っていた。(原文のまま)

信州「せいしゅん村」
むらおさ 小林様
シンセンCITSの王です。この度、大変お世話になりまして、誠にありがとうございました。メールの返事が遅くになり、申し訳ありませんでした。

今回の修学旅行、いろいろ小林様に助かっていただき、本当に感謝の気持ちがいっぱいです。実は帰国の前日に小林様にお別れの電話をしようと思ったら、間違えて、違う小林様(小林一洋)のところにかけてしまいました。(笑)残念でした。

今後良かったら、ぜひまた修学旅行のホームスティをせいしゅん村にお願いしたいと思っております。私は修学旅行を主に担当していますので、またお会いできると思います。ご期待に応じえるように頑張ります。よろしくお願いします。

ご家族の皆様にもよろしくと伝えてください。今後ともよろしくお願い申し上げます。

追伸:もしご機会がありましたら、ぜひ家族の皆様と一緒に中国に旅行しにきてください。中国で皆様との再会することをお楽しみに待っております。

では再見!(笑)

12時過ぎ、信州しあわせ村真田の斎藤さんと、この3月に行われる「招待験会」の案内状について、文章表現やスケジュール等の内容について話し合い。中途半端でやっていると相手側から不信感を買ってしまうので、しっかりとやって欲しいとお願いする。

午後1時過ぎ、袋に取り込んである寒晒しの玄蕎麦を、秤にかけて22,5キロづつ計量する。2時、作業の終り頃に増子塗装さんが集金にやってくる。お茶を飲みながら話を聞くと、腎臓病を患ってしまい、機能が三分の一駄目になっていると宣告され、これからはしっかりとした食事制限しないと、人工透析が始まる様になってしまうと嘆いていた。

たまたま私は今年から、腎臓病を患っている人用に、お米で低蛋白質の『低グルテリン米・春陽』を栽培しているのでお譲りしますよと声を掛けてあげる。確か真壁さんが精米機を持っているので、貰っちゃいましょうと云うことになり、電話すると『いいよ、持って行って』と快諾を頂く。申し訳ありません、みんなで助け合いましょうね。

積み込んだ蕎麦を小諸に向けて出発しようとしたら、王滝村の増田さんから電話が入り、明日お話を伺いたいといわれる。信州おんたけ村の総会に村長が出席する予定になっているらしい。分りました、会いましょうと返事をする。

3時過ぎ、寒晒し玄蕎麦13袋292,5キロを軽に積んで小諸の大西製粉へ運んで行く。社長は小諸市の観光協会の副会長をやっているので、お茶を飲んでいるとついその方向に話しが向いてしまいます。10年間でお客様の傾向はどう変わりましたか。10年後はどう予測しますかと切り出す。難しいといわれてしまうが、それをやって積み重ねて、ようやく信州せいしゅん村活動の10年が今日の成果ですよと伝える。

佐久の橘倉酒造の社長と今年の仕込み量について電話で話し、来週27日に再度伺って計画を進めささて貰うことになる。社長は作るのは簡単だが、どこに売り込むのかしっかりして決めていないと駄目ですよと忠告をしてくれた。その通りですね。

信州銘醸の滝沢さんに、昨日運び込んだ原料から試食用に2升を避けといて欲しいとお願いの電話をすると、もう仕込み作業が始まっていて、できませんといわれる。ゴメンナサイ。ところで詳しい説明があるので、明日の契約所要時間は30分では短いので、土曜日に伺いますといわれ、何に説明を加えるのと問い合わせると、原価計算ですとのこと。昨年の3倍弱を仕込むので安くなると思っていたのに、寝耳に水のこととはこのことかな。

真壁さんのお店に行って精米機を譲り受けてくる。増子さん用に使えるかな?

県の観光協会からメールが入っていて、埼玉の高校生が修学旅行にやってきたいので、関係資料を欲しいと依頼だった。早速送り、制約になるようにとお願いする。

農業普及センターの桜井さんに、寒晒ししたお米の成分分析をしてみたいので、分析できる所の紹介をお願いする。長野の食品工業試験場を紹介していただけることになった。

2008年2月20日

●寒晒し純米酒、the幸村

8時過ぎに信州銘醸の滝沢さんから、寒晒し純米酒『the幸村』を仕込むため、原料のお米を持って来て欲しいと連絡が入り、鈴木さんに仕上がり具合を確認。取り込みの手伝いに9時過ぎに3人で行くことにする。

9時、一昨日、火事になった家に隣組からのお見舞いを持って伺う。私が班長を仰せつかっているので、代表で伺ったのですが留守でした。帰り際に燃えた家の中をふと見ると、『煙り』が上がり始めているのを見て、慌てて親類jの人に伝え、バケツに水を運び消す。燃え残りが再び燻り出したのでした。怖いですね、畳から火が出ていました。

水曜日なので精米所が仕事をやっているので、寒晒し純米酒の原料を精米所に持ち込む。玄ソバにも手を入れてお昼5分前。帰りに精米具合を確かめるべく精米所に寄って、作業してくれている深宮さんに話を聞いてみると、『昨年の状態とは雲泥の違いで、とても良いものですよ。昨年飲んだ酒も旨かったが、今年は更に旨いものになるじゃーねーかい』と嬉しいお言葉。

寒晒し純米酒『the幸村』は、今年は昨年の反省を踏まえて、更なる対応をして寒晒し作業を行ってきたので、この評価がこのお酒の品質の新たなる飛躍につながることを願っています。皆さん楽しみにしてください。

12時過ぎ、長和の柳沢君と昨日の実務者会議の件で電話で話す。ありのままという言葉を本当に理解しないとやっていかれなくなってしまうよとアドバイスを送る。

1時前に、蜂蜜に水飴が入っているのではと、疑問を呈した先の販売したお店の総括マネージャーが担当者としてやってきた。危機管理が全くできていないのではと伝えると、髪の毛やビニールが混じっていれば製造者に商品を返して、それがどうして混ざったのか調べさせるが、今回のような『国産はちみつ』の内容物が違うのではといわれる対応はマニュアルにないので、対応を誤ってしまったと平謝り。日本食品分析センターへ分析依頼をして、農水省にもJS法の食品表示の誤りはないのか確かめますと言って帰る。頼みますよ。

3時過ぎに、午前中取り込んでおいた寒晒し純米酒『the幸村』の原料の残りを軽トラに積み込んで精米所に運ぶ。

真田の山崎さんと昨日の話の続き。受け入れ家庭を訪問して参加してもらう活動をしっかりとやりますと返事をもらう。

5時過ぎ、信州銘醸さんへ寒晒し純米酒「THE幸村」の原料を運んで行く。滝沢さんが立ち会ってくれ、昨年は驚いたが今年は全然違いますのと言ってくれた。

2008年2月19日

●本当に火事は怖い

昨日、火事で燃えてしまった『上のうち』の惨状を見る。母屋の東と西の両サイドが残っただけで、中央部は棟木まで吠え落ちてしまっている。よく何もかも灰になってしまったと云われますが、火事は黒焦げになった醜い姿が目に付くだけで嫌になります。片付けをするにしても大変です。

同級生の彼にお見舞いの挨拶をする。いつも住まわれているおばさんは、病気で手術を受けて入院中だったので、不幸中の幸いになっているのかも知れません。班の伍長をやっている私のところに、『班は違うが傍なので、隣組で家事のお見舞いに伺わなければ』と、近所の長老がやってくる。隣組の意見調整をして、お見舞いを差し上げることになり、私の家に届けてもらうことになる。

私の家に、近火見舞いにやってきてくれる人がたくさん。ご迷惑を掛けます、ありがとうございます。

13時、第23回桃源郷街道推進会議の会議に長和町に出かける。各地5支部の皆さんがやってきてくれ、全員揃うまでに商談会用で配る全地域を挟み込んだクリアーファイルを120部を作る。

その後、ほっとステイの報告やその質問に時間を費やす。まだまだ私を含めて未熟な部分を持っていますので、しっかり取り組まないと駄目になってしまいますので、責任者をはっきり決めて、各事項に取り組んでいきましょうと励ます。

中国のほっとステイ受け入れはどの受け入れ地も良かったと評価していました。


2008年2月18日

●東京へ、そして隣家の全焼

今朝は寒い。氷点下11度だった。久しぶりの寒さは身にしみます。

8時30分、家を出て上田駅へ。9時34分の新幹線に乗り込む予定で列車を待っていると、直前に妻から電話が入る。

『上のうちが火事で、全焼になってしまうよ』。『えっ、本当かよ。おばさんは入院していて留守だろう。どうしたんだ』。『息子さんが昨日帰って来ていて、帰ったようだよ』。『ふーん。ところで我が家は大丈夫かよ』。『風向きが西向きなのでこっちは大丈夫。消防が入り易くなるように、庭に停めてある軽バンを移動させて、入って貰うようにしてあるからね』。『そうか、それは良い対応だ。ほかの家にはどうだ』。『前のうちは大丈夫、上のうちの前の家はガラスが割れて大変みたい。家財も運び出したよ』。『そうか、気をつけとくれ。お手伝い(家事の炊き出し)もしっかりしてくれよな』。『ええ、大丈夫』。『いろいろお願いな、電車が来るからな。行ってくるよ』。

11時20分に近ツー東京本社での公立中学校商品説明会に伺う。35人の社員が待ち構えていてくれ、各地区のパンフを配りほっとステイと観郷ウォークの説明を行う。会議責任者の松井課長が言葉を補ってくれて、大変良い評価をしてくれていてありがたかったです。

昼食後、日本農業新聞の宗和さんを訪ね、ほっとステイ受け入れアルバムをお渡しする。チェックシートを見て『私がやってみます』とのこと。結果が楽しみです。

2時20分、再び近ツーの高校対象の会議の席上で説明をさせてもらう。これからが楽しみです。

3時過ぎに農協観光さんのグリーンツーリズム課へ顔出し。アルバムをお渡しし、誘客の資料として活用して下さいと差し出すと、『これは良いですね。さっそく今話しを進めている学校様にもっていきますよ。使えますよ、これは』。ありがたい評価、狙っていた通りに役立ちそうです。

信州銘醸の滝沢さんから、火事近火見舞いの電話が入る。驚いていた。寒晒し純米酒の仕込みについて、量をどのくらい仕込むか明日中に決めてほしいといわれる。原料の用意はできているので早速決めますと返事をする。中川大工さんからも心配してくれた電話が入っていた。心配していただきありがとうございます。

4時にイオンさんから電話が入る。『今日の会議が長引きそうで7時から8時になってしまいそうなのでどうしましょうか』とのこと。皆と相談し、今日のお話はしないことにしようと電話を入れ、断念を伝えると、担当の環境貢献の担当者には内容を伝えてあり、都合をつけ合って会って下さいと言われ、再度連絡とって都合のよいときに伺うことにして帰路に就く。

7時に帰宅。隣家の火事の様子を見てみると、無残に崩れ落ちていた。お気の毒で、言葉の掛けようもないぐらい。本当に残念です。

2008年2月17日

●ほっとステイアルバム、出来上がり

水野さんが届けてくれた『ほっとステイアルバム』と『チェックシート』を大高木さんと仕上がりを確認する。予想していた通りの出来で大変うれしいのですが、パンフの色は少し赤が強く、緑色が冴えない状態で少々がっかり。

でもこのアルバムは07年度の一年間を通じて受け入れた39校のシーンを、日を追って載せているので、見る人にとっては体験内容が一目瞭然で、訪れたい時期に何が行われているのかが分かるようになっていますので、検討する資料には最適でしょう。手にした人のコメントが楽しみです。

明日の東京営業の資料を整える。明日は近ツーと農協観光、時間があれば日本農業新聞に寄って、5時過ぎのイオンさんと会う予定です。

2008年2月14日

●旅行エージェント廻り

朝4時に目が覚める。昨夜早寝をしたせいかな。

8時45分、名鉄の名古屋支店の朝礼に参加し、自分たちの商品を説明させてもらう。

10時に近ツーのインバウンドの担当者に、中国向けのほっとステイと観郷ウォークの説明をする。まだまだこの商品の価値が知れ渡っていないと実感。

1時に日本旅行の教育旅行で説明をさせてもらう。2時近くまで説明し、1Fで一般対象の説明を再び行い、他の班との集合場所のホテルへ戻る。

3時過ぎに信州へ向けてバスが発車、7時30分に武石に到着。

まだまだやることが一杯あると感じた二日間でした。

2008年2月13日

●名古屋での商談会

朝5時30分過ぎ、立科の吉澤さんが到着、雪が降ってツルツルの中を松本へ出発。7時7分のしなのビュー2号に乗り込み名古屋に向かう。

豊田市に10時30分に到着。JTBの豊田支店へ顔を出しKさんに面会を申し込むと一日中会議とのこと。トヨタ自動車の展示場へ行き、新たな商品提案の試作車を見る。どこまで進化していくのかな。でもハードだけでソフトが全然反映されていないと感じてしまったが皆さんはいかがですか。

昼食を済ませて1時30分、トヨタ自動車の早川さんにお会いし、私たちのほっとステイと観郷ウォークの説明をし、ぜひ信州の私たちの地を訪れる計画を立ててほしいと依頼する。計画をJTBか名鉄さんと練って、提案してもらえば検討しますとのお返事をいただく。

2時過ぎに辞して名古屋に向かい、商談会会場のホテルへ4時にたどりつく。4時30分から説明会の受付を始め、5時から説明会が始まり私も説明を受け持ち発表をする。

6時30分からは懇親会が行われ、80人を超す盛大なパーティーになりました。姪が勤務している近ツーの支店長からは『彼女の成績が大変良く、社長表彰ものだ』と褒められ、自分でもうれしくなってしまう。しばらくしてから姪が会場にやってきて驚いてしまい、どうしたのと聞くと顔を出しなさいと言われてきたそうで、粋な計らいだったのかな。

8時過ぎに懇親会は終了。吉澤さんとラーメンを食べて早寝をする。

2008年2月11日

●教本が印刷に回ります

朝から昨夜やった『ふるさと回帰予備校』の教本の直しを再チェックする。11時に水野さんが訂正本を受け取りにやってきてくれた。これが最後の訂正ですねと言ってお渡ししたが、そうあって欲しいですね。ほっとステイアルバムのゲラも持ってきてくれて、再確認したがOKでした。

玄関の庇から雪解け水が漏れてきたので、点検したら雨樋が凍っていて、詰まっていたので取り除く。今日は日中の気温が5度を越していて、久し振りの温かい日だった。

午後、寒晒しで使った玉ねぎネットを片付ける。袋の中に残っていた玄蕎麦を取り出し、形を整えて丸めて束ねる。1時間30分も掛かる作業でした。

お茶を飲んだ4時過ぎ、パソコンに向かい、13日14日の名古屋で行われる観光商談会の営業資料を作る。

2008年2月 8日

●教本の最終校正を届ける

10時に入院しているおじさんのところに、お見舞いとこれからについて打ち合わせ。社会福祉協議会の方も見えて話し合いに乗ってくれた。

12時過ぎに上田の水野さんの事務所に、教本の訂正版を持って行く。これが最後の訂正ですから早く仕上げてくださいとお願いしてくる。

帰宅して昼食を食べ終わったら2時を過ぎていた。
ふるさと回帰の理解度チェックシートの裏表紙に、現地に立ってチェックする表を作る。

鹿教湯温泉の久保田旅館組合支部長と3月5日の東京での商談会の参加方法について相談。積極的に参加していくことで了承を得る。

2008年2月 6日

●別所温泉にて話し合う

県の観光協会川上さんへ明日の会議の資料を整えてメール。

10時過ぎ、別所温泉へ行き、上松屋の倉沢社長(別所温泉旅館組合長)と話す。終わり頃『じゃらん』の加賀屋さんが見え、同席で話しを行う。私たちの活動を聞いて驚いていた。是非取材させてくださいと申し込まれる。昼食を3人で頂き、帰宅。

2時に、真田の信州しあわせ村真田の斉藤さんが新しいパンフレットを作りたいと相談に見える。大高木さんも同席。今後の組織運営について意見交換を行う。

3時過ぎ、千曲氏の叔父さんが、依田窪病院へ入院しているおばさんの件で話しにやってくる。

作っているほっとステイアルバムの原稿を再点検。

7時30分、水野さんが教本の印刷見本を持ってくる。チェックをしながら今後の展開を話し合う。9時を廻ってしまう。

2008年2月 5日

●ほっとステイアルバム作り

ほっとステイの体験アルバム作りを一日中掛けて行う。

6時過ぎに漸く終わり水野さんに送る。

原稿も画像を24メガを越える重いモノになってしまった。でも、これは絶対必要なアルバムだと思っています。仕上がりが楽しみです。

2008年2月 4日

●中学校の評価委員会

昨日の残り雪が5センチほど降った。

午前中はネギとタマネギを蒔く。乾ききった土なので、水をバケツに20杯も運んで湿らし、そこに種まきをする。12時前ギリギリに終わる。

午後は屋根の雪下ろしと『ほっとステイアルバム』の作成。

3時からの地元中学校『依田窪南部中学校』の学校評議員会に出席。引き続き4時30分より、学校評価委員会が開催され、6時10分過ぎに終わり。先進的な取り組みをしていこうとする意欲が感じられる姿になってきて喜ばしいことです。学校長がやる気があればできるものですね。恐ろしく長く時間が掛かってしまったが、私が意見を喋りすぎたかな。反省します。

2008年1月31日

●中国の中学生を見送る

6時45分に食事を取り、迎えのバスに乗るために家を出ようと予定していたが、中々思うように動いてもらえず、遅刻気味。遅れて家を出たら、長和に入っていた生徒が、熱が再び出ていると連絡が入る。もうしばらく様子を見ていただいてバスに乗り込ませて貰うことになった。

一台目のバスは、7時20分にバスと待ち合わせし、7時30分から回収を始めるが、最初の家の伏見さん宅が出てこない。行ってみるとまだ準備中。後回しにすることにして、大高木さんに連れて来てもらうことにする。桜井さん以下順調に回収し、8時10分過ぎ完了し、青木へ送り出し。

回収時間が遅れたので、二台目のバスを私が回収することになり、乗り込み、公民館からジャスコのピコへ向かい、8時50分に到着。立科からくる他の一台を待つ。遅れて、9時20分過ぎ漸く立科から到着。すぐに松本へ送り出す。これで一安心。

他のメンバーと話してみたがどこも満足感に満ちあふれていた。良かったな。

皆と別れてから大高木さんと事務所でお茶を飲みながら反省会。

午後は子供たちの忘れ物を立科へ届けに行くと、途中でテレビ信州の野本さんから電話が入る。
45分も話し、番組内で今回のタイトルをどうしよう、どういった内容で編集するかなとの話しを受ける。ありのままを放送してほしいと返事をしたことになります。

3時に立科商工会へ届け、丸子の中川大工宅へ行き、仕上がった欅の看板を頂いてくる。

夜、丸子テレビで放映。伊藤肇さん宅でお孫さん2人を交えての交流が入ってから送り出すまでを順を追って放映してくれた。


2008年1月30日

●中国中学生ほっとステイ

午前中、『ふるさと回帰予備校』の看板を作ろうと、欅の板を中川大工さんに届ける。刻み場で気取りを立会、良い板が取れそうで、仕上がりが楽しみです。

帰宅して車庫へ車を入れたら、脇に瓶詰されたケースが置いてあった。搾油を頼んであった『エゴマ』が木曽の上松町から届いていたのでした。普及センターの桜井さんが届けて呉れたのですが、生憎と私が留守で妻が受取っておいた『エゴマ油』は、綺麗なコハク色した油でガラス瓶に入っていて、どんなものかが楽しみです。

2時15分、定刻に中国深セン外国語学校の中学生たちが、長和町の道の駅『マルメロの駅』に到着。ほっとステイ&民泊に来たもので、長野県・観光協会の恵崎常務理事に先導されてやってきました。県もインバウンドとして、外国からの観光客を増やそうとして誘致活動をおこなっていますが、全国的には14番目にランクされる観光客数なので力が入っており、今回はその一環で受け入れを行い、バスはこちらに2台、立科に2台の合計4台、186人です。

いつものようにバスで各家庭に配って歩きました。訪問者の「名前」と「歓迎」の中国語文字で書かれたカードっを、掲げて待ってくれた受け入れ家庭に中学生をお願いして、先生方と添乗員を我が家に案内しました。

中国にも農村部はたくさんある中で、今回の行事の目的を先生にお聞きしてみたら、『中国の農村部は、生活水準が苦しく、しかも環境は悪化していて困っています。日本の農村の暮らしぶりと周辺の環境を見せ学ばせ、これからの中国に生かしたい。』と話してくれました。凄い目的意識ですね。

お茶のみ後、受け入れ家庭を回って歩きましたが、村の中を車で走っていると先生方は『綺麗ですね、美しいですね』の連続で言いますので『そうですかね、普通ですよ』と答えたら、みな一様に驚きました。『中国の農村部は全然違います。環境を守らなくてはという意識が全然ないですね、これからは環境を守らなくてはいけないです。』と話してくれましたが、話と行動が伴っていないようです。

行った先々では、各家庭での交流風景をテレビ局が取材に入り、インタビューを繰り返されて大変です。でも家庭は上手に、受け入れを普段どおりにやってくれていて助かります。先生方も楽しそうに歩かれました。

夜10時前に、日本のテレビニュースを見ますかと言って、スイッチを入れたら『毒入りギョウザ』の話がトップニュース。ちょっと気まずいなと思ったが、そのままつけて通訳を介して環境論議。良い体験がこちらもできました。


2008年1月29日

●元気作り支援金申請を取りやめ

8時15分に家を出て上田に向かうが、次々と電話が入り、そのつど車を止めて話をしていたら、9時になってしまって漸く上田の水野さんのデザインルームエムさんに到着。『ふるさと回帰予備校』の製本について変更部分を打ち合わせ。

市内の現場で益子塗装さんが最後の仕上げ工事。私からお茶を勧められいただく。中川大工さんが昨日やってきて、お施主様との楽しいやり取りの顛末を微笑ましくお聞きする。皆いい職人さんだとおほめの言葉をかけてもらう。嬉しいですね。

帰りに中川大工さんのお宅へよって、養生紙を届ける。スズメを取る仕掛けがあり、こんなもんで取れないでしょうと話しかけると『何言うだい、これがいちばん取れる仕掛けだよ』と、説明をしてくれる。昔子供の頃、炬燵にあたりながら、こんな仕掛けを作っていたずらをしていたことを思い出す。

帰宅してメールを見て、長和町の洩りモリケンさんへ伺い、明日の中国中学生のバス運行について立科と調整しながら決める。

午後は長野県の『元気作り支援金』の手続き書類を作成しだすが、どうも気が乗らない。あまりにも行政に頼り過ぎることが、気乗りしない理由ですが、どうしようかと悩みっぱなし。

3時に大高木さんがきて相談、結局見送ることにしてしまう。明日の中国受け入れの手配を再確認して、私は県観光協会の宿題、『冬の学習旅行推進提案書』を作成。

今日は息子の誕生日、聞いたら『三十路になった』そうです。

日本農業新聞のトップページに掲載された記事が目に付いた。
見出しは


食料の海外依存「危険」


首相 目も見ず答弁


農業理解「深めるべき」


「食料は海外でいくらでも買えるという考え方は、極めて危険だ」---。

福田康夫首相は28日の衆院予算委員会で、日本人の食料をめぐる世界情勢が様変わりしつつあり、厳しい現状把握が必要だとの認識を示した。自民党の遠藤利明氏の質問に答えた。

福田首相は「今までは極端なことを云う人は『金を払えばいくらでも輸入できるんだから』という乱暴なことを言っていたが、そうはいかない事情が出てきた」と指摘。食をめぐる不安定要因として地球温暖化や水不足、世界的な人口の増加を上げた。

首相はさらに、食料の安全保障について「農業に対する理解を深めていく必要がある。国民世論も今までは割合のんびり考えていたかも知れないが、今はかなり深刻になりつつあると思う」と、国民が意識を高める重要性を指摘した。

首相が答弁メモを見ず、食糧問題でこれだけ踏み込んだ見解を示したのは初めて。

2008年1月28日

●長野県庁へ行く

今朝は氷点下12度。寒くて嫌になります。

7時に家を出て長野市へ。9時に県庁へ飛び込み,、農政部の熊谷係長と、『ふるさと回帰予備校』の教本への県庁農政部の推薦の言葉をいただきたいとお願いしていた件で、仕上がった原稿を手渡し、再度確認をお願いする。何とか30日にまで間に合わせて私たちにお渡ししますと言って頂き一安心。

次に観光部へ伺い、観光部で仁科係長や田舎くらし案内人の若林さんと『ふるさと回帰予備校』の推薦の件で説明をする。農政部と協調して行って貰えるらしいのでうれしい限りです。

10時30分、長野県・信州観光協会へ伺い、恵崎常務理事と30日に来ていただく中国深センの外国語中学校の受け入れ前の詳細打ち合わせをし、そのあと『ふるさと回帰予備校』の推薦状をいただきたいと再確認をさせてもらう。こちらも快諾を頂き、すぐに間に合わせますと返事をしていただく。

11時過ぎ、テレビ信州の本社へ伺い、平坂局長にお会いし、観郷ウォーク事業の件でお話をする。同席をお願いしますと云われて同席された方がなんと、神田企画局長だった。テレ信さんも気合が入っています。企画書を作成して私たちと相談し進めていきますと言って頂きました。12時に退社。

12時40分、上田の柳町の『おお西』で大阪の中本さんと福井の山崎さんにいお会いし食事を一緒にして、お互いの安否や仕事の先行きを語り合う。2時20分まで。

3時10分過ぎ、立科の新春経済講演会で、長野大学の三田先生の講演をお聞きする。群馬県川場村の道の駅を運営されてきた先生のお話は、当初から大きな箱ものを作らず、民家風の小さな建物を造り、田舎の風景を感じさせることで誘客に結び付けてきたというお話は示唆に富んでいた。

4時過ぎに講演が終わり、立科の吉澤さんと中国の受け入れや観郷ウォークの件で、女神湖の青井さんを交えて話し合い。

帰宅してから寒晒し施設で、蕎麦の展開を大高木さんや鈴木さん、女房の作業を確認しながら手を入れる。

夜7時に大高木さんがきて、明後日の中国中学生の受け入れ準備。歓迎のプラカードと対訳、バス運行表を作成する。10時に終わって自宅に引き揚げ。


2008年1月23日

●東京へ行く

7時前に家を出て上田駅へ。今日は東京出張です。7時49分上田発、途中大宮あたりから雪が降り出し、9時15分に東京駅へ到着した時はカメラを取り出して写したいぐらい雪が降っていた。家を出るときは雪降りの気配すらなかったのに東京で雪に会うなんて不思議ですね。

10時に高速道路交流推進財団に新年になっての挨拶に伺う。昨年私たちの『信州・桃源郷街道』の事業計画の提案に対して、3年間で1000万円の補助金を出していただいたのでした。財団では「第一回観光資源活用トータルプラン」を募集し、57の応募があり、私たちは第一席にはなれなかったのですが、優秀賞に選ばれ、参加グループの立科・青木・真田・長和の皆さんと喜び合ったものです。

お陰様で、『信州・桃源郷街道マップ』や『観郷ウォーク』の事業が行われだし、新たな地域活性化活動に進みだしています。まだまだ不十分ですけれど、形になってきていますと報告し、理事長や専務さんと名刺交換をして辞する。

次は14時に神田の近畿日本ツーリストの教育旅行。11時30分に神田に到着したので、早いので周りを歩きお昼にしようと通り過ぎて行ったら『日本農業新聞』の看板が目に入る。私たち信州せいしゅん村は今までに、この社の新聞の第一面に4回取り上げて頂き、掲載されたことがあったので、知り合いの記者に電話を入れてみる。『ああ小林さん、しばらくでした。・・・ぜひお立ち寄りください』とのことで13時に立ち寄る。

高速道路推進財団や観郷ウォークの話をし、更に『ふるさと回帰予備校』の教本作りを行っていて、丁度原稿を持っていますので、どうぞ見てくださいと御覧に入れる。驚きの声を揚げ『これすごいですね。出来上がったら教えてください。いつできるんですか。取材に行かして下さい』と云われる。どうぞお越し下さいと予定を告げ、帰る準備をし始めたら、『ちょっと待ってください。今我が社でキャンペーンを行っている「田園立国」の担当者が来ますので、先ほどの話をもう一度詳しく話して下さい』と言われてしまう。近ツリさんに遅れますと電話を入れ、再度話すと『全国で取材をして歩いているけどこんな本を見たことないですね』とやはり想像していたことおっしゃられ、隣では私たちのやり取り風景をカメラでバシャバシャと撮影され、帰り際には顔写真まで背景を整えてとられてしまう。どうなるやら解りません。

14時40分、近畿日本ツーリストの担当者と話をし始める。例によって『全国のどこの行政でも同じグリーンツーリズムで取り組み、売り込みに来ます』と言われ、気の乗らない対応をされ始める。いつものことなので自分の資料を開き、『ほっとステイ』の説明を始めると目の色が変わるのが分かるぐらい聞きはじめてくれ、最後は『うちの新入社員にも、よく教育をして頂きたい』と懇願されたような感じだった。

16時42分、東京発で帰路に就く。い一日だった。

2008年1月22日

●病院・病院、また病院

上田の現場に大工さんと内装屋さんが入り、仕事に取り掛かる。立ち会い。
上原自動車と住建、本屋によって、10時45分帰宅。

11時に依田窪病院へおばさんの介護の相談に行く。おばさんの自宅のある丸子へ介護リハビリの方3人とで行き、家の中を見て退院後の生活がどうできるか確認し、リハビリを進めたり、改造計画を話し合う。

戻ってレストランで昼飯を食べていたら、姫木平の牛山さん達と行き会い、同席して貰って話し合う。『ほっとステイ』や中国からの中学生受け入れについての報告やら、これからの協力体制について話し合う、2時25分切り上げる。

今度は大屋の病院へ行って入院中の叔父さんを見舞う。介護士さんも同席し、これからの対処の仕方を相談し帰宅。

再び、依田窪病院に入院しているおばさんのところへ行って、午前中の自宅調査の報告をする。『全部任せるから上手くやってくれ』と頼まれる。

帰宅してみると宅配便が届いていて、開けてみると『アクティブ報知』が入っていて、その紙面に大きく、昨年行われた『ほっとステイ』と『観郷ウォーク』が掲載されていた。取り上げていただいて本当にありがとうございます。

その後夜まで本の原稿書き。

2008年1月19日

●中国中学生ほっとステイ

昨夜の会議ボイコットした件で、主催者の柳原さんと電話で話し合う。このままの会議体だと成果なんてついて来なくなってしまうので、もう一度原点にかえって人選からやり直したらどうですかと提案させてもらう。名士や役職を集めて組織し、門外漢と言って話を始めるようなことでは駄目。自分の夢を語り合い計画をして見せないと、全部人任せになってしまうし、二重権力構造になると実行部隊が動かなくなってしまうよと言ってしまう。言い過ぎたかな。

本の原稿書きをやっていて書いた原稿で、13番の項目2ページ分を間違って昨日を削除してしまったので、その部分を最初から書き直しになってしまった。書いたことを思い出して書く作業はイメージが残っているのでとても書きづらいですね。午前中書いていた。

寒晒し施設が全面結氷、14時に氷の取り除き作業に出かける。明日は取り出し作業日なのですが、このままにしておくと、タンクに入っている蕎麦の袋が凍ってしまい、取り出しても脱水ができなくなるので、このままではおいて置かれません。今までで一番強く張った氷は写真の通りです。

病院へ丸子のおばさんをお見舞いに出かける。86歳で一人暮らししているおばさんは、跡取りをする子供さんがいないのでこれからを心配してよく眠れないとのこと。困ったことです。後々の事の面倒を甥っ子の私にして欲しいとお願いされた。

伊藤肇さん宅へ中国からくるほっとステイの中学生を受け入れてほしいとお願いに行く。飯田さんの100歳のおばあちゃんの具合が悪く、受け入れに支障が出そうなので代わりの方にやって欲しいと申し入れがあったので伺ったのです。お孫さんが中学3年生で丁度良いし、国際貢献だからねと言って受けてもらえた。良かったです。

本の原稿を書く。

2008年1月18日

●慌てた一日でした。

朝から本の原稿を書き上げて10時30分には長野県庁へ出かけて行こうと気合が入る。今日は県庁の農政部と観光部と観光協会の3か所を回り、本の推薦文を書いて頂き、それを本に乗せさせて欲しい依頼するつもりでした。

書いていると、急ぐ気持ちとは裏腹にパソコンに負荷が掛かって、唸ってしまってどうにもならない。大高木さんもチェックリストの項目を保存しないで添付に書き込んでいたので、私に送ってくれた原稿はまっ白白。どうにもならない。大至急やり直しますと電話が入る。私は重くなりすぎたので、原稿を三つに分けて、取り敢えず削除して印刷をする。そこへ大高木さんがやってきて11時30分に出かける。

上田のデザインルーム・エム・水野さんの事務所で、印刷の打ち合わせで、本の見本を見たり見積もりの話をしに行く途中、今日の県庁での主要議題が印刷されていないことに気が付き、武石の事務所にいる妻に電話、水野さんの事務所に送ってくれと頼み、行ってみるとついていない。操作してもそっちに行かないという返事。昼食を取って再度確認するが遅れないと云われ、武石へ戻り確認する羽目になってしまった。

武石で確認すると重くて送れない状態だった。送らずに再確認すると大事な部分が消去されていてなかった。私があせって午前中消去していたのでした。どうにもならない。

書類がないまま2時過ぎ長野県庁へ出発。途中でテレビ信州から電話が入り、観郷ウォークの件でスポンサーをつけて良いですかと云われ、了解しますと返事をする。進めてもらっています。

県庁へ3時40分に到着。それぞれに伺って推薦依頼の話をすると、『せいしゅん村さんのやることは面白いことを計画しますね。これは良いですね』と言われ、胸を撫で下ろす。観光協会で恵崎常務と中国からのほっとステイ受け入れ手配を話し合い。こちらも着々です。

上田市へ19時前に帰り着き、市内で開かれていた会合、『うえだまちづくり推進会議』に出席。出席してみたら余りにも不甲斐ない話で、懇親会に出席する気持ちにならず、家に帰ることにする。20時前帰宅し、パソコンに向かうが消去した原稿を書き直すのは大変。23時、」目が痛くなってやめてしまった。


2008年1月17日

●SBCラジオに出ました

9時過ぎ、上田の現場へ出掛け、施主さんが床を張りたいと言ってきたのでお茶を呼ばれながら話し合う。おおよその見積額を呈示しながら検討して頂き、居間を張るより先に、廊下の段差解消工事をやることになった。台所の床も張り替えることになったです。

昨夜送ってあった毎日新聞の募集冊子掲載での原稿を見て、担当の中島さんから帰宅途中に電話が入り、その体験講習会の資料を作り再度送付。忙しい。

12時50分、公民館でSBCラジオの女性アナウンサー斉藤さんと待ち合わせ。余里の寒晒し施設に行って、1時40分から5分間の生放送に出て、寒晒しについて話す。

下に降りて斉藤さんに事務所に寄って頂き話すと、信州せいしゅん村の事をほとんど理解していなかったので活動状況を披露すると驚き、これからは是非ドンドンと寄らせて下さいと云うことになりました。

お帰りになった後、本の原稿作りで大高木さんと打ち合わせ。大筋で方向性を確認。23時過ぎまで執筆。


2008年1月16日

●第23回信州桃源郷街道実務者会議

本の原稿を切り上げ、9時前上田市内で先日の雨漏り騒動のあったお宅へ行く。大工さんが仕事に入って天井張りを行ういその立ち会い。9時15分、市役所と話し合いを行うお宅へ行き待っていると、部長と課長・係長がやってくる。上田公園に有る観光会館横の建物売買を話し合う。売却すると言うことで価格を提示して貰うことになった。11時に税理士事務所により、再び天井張り替え現場へ行き、内装工事の確認。皆手はず良く進めていてくれた。12時20分帰宅。

立科で13時30分から第23回実務者会議を行う。今年初会合ですので新年挨拶、気合いが入ります。ほっとステイ・観郷ウォーク・協会立ち上げ・大学連携・高速道路事業・元気作り支援金・話すことが一杯。3時過ぎ長野県観光協会の恵崎常務がお見えになり、1月30日に中国からの『ほっとステイ』受入について話し合い。受入姿勢からスケジュール・バス運行時間等の話し合い、全地区の確認をし合い本格的な受け入れ態勢を取ることになった。16時前に散会。

立科で引き続き18時30分から中国受入に対する家庭への説明会に出席。住民の熱意を見た。受入の心構え等を話し合い、その後中国残留孤児の帰国者家族で30才の小林さんが中国語講座を開いてくれ学習会。13才で帰国し、17年間日本に入るそうで両方の言葉を苦もなく操る。いい人がスタッフに加わってくれた。9時迄。

2008年1月15日

●本の原稿

一日中、本の原稿を書く。長野県庁の農政課へ電話を入れて、今書いている本の内容を確認してもらって、アドバイスをいただきたいとお願いすると快諾を頂く。今週中に持ち込む予定にさせてもらう。

東京の旅行エージェントに電話を入れ、『ほっとステイ』の営業活動に訪れたいとお話をすると、来週の水曜日だったら良いとの返事をいただいたので来週行くことにします。ついでに寄りたいところがあるので訪問計画を練ってみます。

本の方はもう少しになりました。大高木さんに確認してもらう為に原稿をメールで送信。明日は立科へ出かけるので情報交換をやっている時間がないのですが、大高木さんの方も忙しく仕上げているようです。

2008年1月13日

●久し振りの兄弟再開

鈴木さんが朝一番で「寒晒し」をやっているところに架けた遮光ネットの領収書を持ってやってくる。代金を支払いながら、昨夜の『のうのうの会』には出席してもらえなかったので会議の内容を伝える。これからの販売計画で体制を整えて、みんなで広告を作って売っていこうと協力を求め、ぜひお願いしますと快諾を貰う。

信州せいしゅん村のホームページをリニューアルしようと、10時過ぎ息子から電話が入り見直しを始める。以前からやろうやろうと言いながら時間がたっているので、当初計画を見直してみれば今の活動状況と大分違い、驚くぐらい活動が進んでいるなあと実感。計画を練り直して進めていきます。 

お昼に東京のおじさんがお墓参りを兼ねて3人でやってきた。久しぶりの里帰りでお昼をゆっくりと召し上げっていただく。帰ったら入れ替わりに名古屋の弟夫婦が依田窪病院に入院しているおばさんをお見舞いにやってきて、我が家にも年始で来てくれた。近くの弟夫婦も読んで話っぱらう。

ふるさと回帰の本の原稿を書く。ようやく6番目まで進んできた。手間がかかります。

2008年1月12日

●日本農業新聞に載った

冬なのに雨、バグダッドでは100年振りの雪、どうなっているのかな。

日本農業新聞を開いたらビックリ、我が女房が大きく乗っていた。昨日の『ほっとステイ』の受け入れで、我が家ではお餅を搗き、その後のきな粉とあん粉を付ける指導をしているシーンだった。当日来てみたら大騒ぎをしてお餅を千切って、千切り方が悪いの熱くて駄目だのと云いながら女子生徒がやっていて、男子生徒はきな粉とあん粉を付けていた。『食べられるだけ付けるんだよ』と云って他へ廻ったが、食事時に訪ねて見ると食べきれないを連発していたのを思い出す。

本の原稿を書いていて小降りだった雨が雪に変わり始めた11時頃、電話が掛かってきて出てみると上田市内のMさん。20年ぐらい前に住宅を建てさせて頂いた元校長先生で、小雨の中で雨漏りがしているので来てほしいとの連絡だった。中川大工さんに連絡を取り、ただちに出かける。確かに雨の音がするので天井を切り抜いて調べてみると2階のバルコニーの屋根から滴り落ちている「雨音」だった。でも天井板には確かに大きな雨漏りの跡が残っていて、可笑しな状態で不思議なことです。原因がはっきりとしないのですが、とにかく雨漏りでないことは確かだった。天井板を後日張り替えることになり、お昼を用意していただいたので皆さんと一緒に頂く。昔話に話が咲き、懐かしい時間を過ごし、帰宅。夕方まで原稿書き。

夜7時から『のうのうの会』。新年会の声掛けをしなかったので参加者は8名。活動を通して地域問題に話しが行ってしまう。地域活性化の取り組み方法や将来性が行政と連動してどういう風になるのか話は尽きない。毎日新聞のメディアに蕎麦焼酎『寒九郎』と純米酒『the幸村』を掲載することになった。反響が楽しみです。

2008年1月11日

●冬の『ほっとステイ』受入日

埼玉県白岡南中学校の1年生147人がほっとステイにやってきた。冬の受入は私たちも初めてのケースで受入家庭は何をやって過ごすのかなーと思っていましたが、無事に終わり送り出しました。

11時30分の到着予定でバス運行表を作成し臨みましたが、途中から電話頂いた時には早く到着するのが判りましたが、35分も早く、10時55分に到着。普通は15分前にはメンバーは集合して事前の手配確認をして、お待ちしているのですが、今回メンバーの一人は家を出ていてしまって連絡が付かず、11時10分に駆けつけてくれました。そして10分早くスタートする事になり、受入家庭に到着時間訂正の連絡をしておいて、バスを案内、家庭に降ろして、お任せする。

例年だと二泊三日で三日間のスキー合宿を行っていた学校さんですが、学年の取り組みの中で農業活動に積極的に取り組んで来たので、延長上に私たちの『ほっとステイ』を選ばれたとのことでした。

教頭先生達を家庭に案内=巡回、して歩きましたが、予想通り各家庭でそれぞれの事をやっていました。これを見て先生方は『何処の家も違いますねえ』と良い印象を持たれたようです。善男さん宅では蕎麦打ち、小林さん宅は臼で餅つき、飯田さん宅は雑煮造り、塩之入さん宅は食後の勉強、鈴木さん宅はお茶を飲みながら勉強、中島さん宅は食後の三歩、宮坂さん宅は人形造り、佐藤さん宅はマレットゴルフ、伊藤さん宅はお茶を飲みながら戦後の話し、橋詰さん宅は五目並べ、伏見さん宅はトランプ百人一首、フミエさん宅はともしび博物館、etc

先生方の班は宮下さん宅で「干し大根作り」。宮下のおばあちゃんが冬中掛かって作るそうですが、教は大人が来てやってくれたので『はかいった(捗った)』と云って喜んでいましたし、体験した先生方も『良い体験ができました。本当に面白かったです』と非常に喜んでいました。

バスの見送りの際は、生徒さんが窓から身を乗り出し、大きな声で挨拶をして手を振って帰って行く姿を見て、『良かったんだなあ』と言ったら、『だれだれバスの中では、スキーなんかやりたくねえ、三日間武石に居てえって大騒ぎしていたど』と上原さんの言葉。本当に良かったんだなと思うと同時に、一安心。良かった良かった、評価はこれからですが。

日本農業新聞と丸子有線テレビ、上田ケーブルビジョンの取材があった。報道が楽しみですね。

今日は私の誕生日、57才になりました。大好物のおいなりさんをたくさん作って貰い食べ、食後のデザートは東京の息子が送ってきてくれた暑さ15センチもあるバームクーヘンで紅茶。満腹・満腹でメタボが進行してしまったかな?


2008年1月10日

●本、『納得、ふるさと回帰』書きます!

明日ほっとステイに来る白岡南中学校のバス運行表を作成し、学校とエージェント様へ送る。冬にお見えになるのも初めてですが、先生だけの班を作って見えるのも初めてです。家庭でどのように過ごされるのか興味がありますが、どんな印象が述べられるのか、私はこちらの方が楽しみです。11時30分過ぎに待ち合わせ場所に来て、家庭に入っていきますのでお昼頃になってしましますので、家庭に来て直ぐにお昼作りを一緒にやって、食べれれば最高ですねと話してありますがどうなりますか、各家庭を訪ねてみたいと思います。冬ですから農作業は無いようですので、炬燵にあたってお餅でも食べながらお話をする家庭が多いのではないでしょうか。夏に再び着たいとのことですので、話が弾めばいいです。

午後は昨日水野さんにメールで原稿プランを送り相談した本、『納得・ふるさと回帰』を書く話しの件で、アドバイスを貰ったので、それに沿って筆を進める。計画した通りにページは作ってはいけないですね。来週中ぐらいには原稿を仕上げて次に進んでいきたいと思います。

2008年1月 9日

●繭玉の柳の木

1月30日に中国深センの外国語学校中学生が『ほっとステイ』に来てもらえる様になっていますが、その受け入れ資料を作成し、各地区の皆さんに配信する。答えを記入して返信してもらうのですが、寄せ集める資料を一つの資料として整えていくのは大変です。今週中に仕上げて中国側へ送らなければいけないので、これからが頑張りどころです。

午後、この15日にどんど焼きで使う「繭玉」を飾り付ける柳の木を取りに出かけてみたが、探してもなかなか見つからず焦ってしまう。あるのはアカシア(ニセアカシア)だけ。もの凄い繁殖力に驚かされてしまいます。どこの場所へいっても蔓延っています。河川管理者の国交省河川事務所では取り除き駆除する計画をたてるのですが、養蜂家からは上質な蜜源になるアカシアを切られてしまうと商売あがったりになると主張され、反対運動が繰り広げられています。河川管理者が一番問題にしているのは、アカシアの木が流路を塞ぐようになってきて、台風が来て増水したときに流れを遮り、氾濫を引き起こす恐れがあるからです。自然保護の面からみるとアカシアは外来種で好ましくない木なのですが、駆除か保存かどちらを優先するか、場所場所の判断をして進めるしかないでしょうね。

でもアカシアと言えば、武石体育館脇の河川公園にもアカシアの大木が生い茂っています。夏の間、炎天を遮り、バーベキュー場所を木陰にしてくれ、憩いにきた人達に安らぎを提供してくれますので、同じアカシアでもここのアカシアは養蜂家と同じで、人間は恩恵に浴しているはずで、ここの木を切ってしまったら非難ごうごうですね。ところでここの川は、この近辺では最高の場所ですよ。川の水は綺麗で適度の流れがあり、子供さんたちでも安心して川遊びができるし、バーベキュー炉が付いていて誰でも無料で使えますし、清掃も行き届いていて気持ちよく使えます。是非遊びに来てみてください。

柳の木はようやく探し当て小枝を3本切り取ってきましたが、探している間に倒れていてもまだ生きている竹に巡り合いました。実は以前から我が家では暖炉で薪を焚いていて、火の付き具合が悪いときに「火吹き竹」を使っていましたが、この「火吹き竹」に割れが入って息が抜けてしまい、女房から『何とかして」と言われてのを思い出し、切り出してきて、帰ってからご覧のような立派な「火吹き竹」を作り、女房からはとても喜ばれましたが、腰の曲がり具合が悪くなった年老いたばあちゃんからは『もう10センチも長ければよかったね。吹きづらいや』と言われてしまう。年を取ると云うことを理解し、さらには知恵を早く身につけないといけないと反省した次第です。

夕方、上田の水野さんに『納得・ふるさと回帰』の本を書きたいので、作ってある資料を送るので見てアドバイスをいただきたいとお願いする。協力しますと返事をいただくが、本作りは大変だと言われます。やらないといけないとの思いだけで作れるのか不安があります。


2008年1月 8日

●中国の中学生受け入れ

朝から12時30分まで、昨日に引き続き「ほっとステイ」受け入れ家庭を回り、中国深セン外国語学校の中学生の受け入れを打診して歩く。受け入れ家庭とは昨秋以来の久しぶりの対面の家もあるので話が尽きなく時間がとても掛かります。でも来るのを待ちわびていた雰囲気なので、お話を聞かずに帰るわけにはいきませんね。どの家でも『寄って行ってくれ」と、家に上がりこんで、お茶を飲んでいってくださいと勧めてくれます。

鈴木さん宅では居間の中にカニバサボテンが一杯に飾られていてとても見事なもので、『お茶をどうぞ」とお茶請けの野沢菜とノリ大根の漬物を添えて出していただきました。中国からの訪問者の引き受けのお願いをすると、昔、鈴木さんもフィリピンで2年間仕事に就いたことがあり、その時にフィリピンの農村部を案内して貰い、家に寄りこんで、そのお宅でお世話になったことがあったそうです。こんな体験をしていましたので、交流することの素晴らしさを実感していましたから、すぐに快諾を頂きました。

家庭を回った中で、受け入れ可能人数が予定数よりオーバーになったので、調整して受け入れ家庭に割り振り、無事受け入れ家庭の準備ができ、一安心。1軒で3人から5人の受け入れとなります。当初計画では30日の14時30分に到着し、翌日の9時にお帰りになる受け入れ事業です。

他の受け入れ地区も予定がついたので、県観光協会の恵崎常務とこれからの段取りについて話し合い、中国側との取り決めも確認していただくことになりました。

そのあと、ほっとステイと観郷ウォーク体験研修会の開催準備を一緒になって進めていただきたいと申し入れ、了承してもらう。ありがとうございます、お世話になります、よろしくお願いいたします。

2008年1月 7日

●市との話し、冬のほっとステイ

1月30日に中国の広州シンセンからやってくる深セン外国語学校の中学生191人の『ほっとステイ』受け入れをして貰う武石分の家庭を歩く。とりあえず3軒回って了承を貰う。ほっとステイも6年間も受け入れをしてきていますので、どの家庭も要領を心得ているので前向きにとらえてくれ、受け入れ側としても非常にやりやすくて助かります。

宮坂さん宅ではお正月の残りものだと言われてお茶を頂く。山ウドの煮物、ゼンマイの煮物、大根の酢漬け、花豆の煮豆、キノコとニンジンの煮物。これが田舎ですね。御馳走様でした。

午後1時30分に市役所の中澤商工部長や課長等と上田城観光会館横の空き店舗の売却の件で話し合い。市側が取得したいとの方向で所有権者と話し合いを持つことになった。

「日本観郷ウォーク協会」の立ち上げについて、上田市の積極的参加を依頼し昨年末には市長と話をして協力を約束してもらったが、設立総会を計画したいのでさらに副市長と話をする機会を作ってほしいとお願いする。重要案件が山積しているが時間を作ってもらえることになった。

主目的の用件を済ませ、これからの観光行政へのかかわり方の話が出て、国際観光に於ける『ほっとステイ』の担える役割で、教育委員会と連携をして、学校訪問での学校間交流の受け入れを大いにやりますと、県へ提案していきましょうと提言。

さらに当地の上田市をアピールする為に、『上だ人宣言』なるものをしたらどうですかと、「おもてなし」を含めて市民意識の高揚を図り、経済活動や活性化活動に反映させて、来訪者の評価に繋がる地域を目指す方向宣言の展開すれば、結果がついてくるのではないですかねとも提案。面白いですねと返答される。

今週の11日(金)に、冬では初めて「ほっとステイ」の受け入れをします。過去6年間では春や夏秋は受け入れしたことはありますが、今回まではなかったことです。家庭もお雑煮を一緒に作って食べようと楽しみにしています。

このあと1月30日と、2月11・12日の両日、中国の子供たちの「ほっとステイ」があります。いずれも自然体での受け入れですが、来訪者の評価は高いようで今後が楽しみです。

2008年1月 6日

●寒晒し順調

8時に大高木さんと余里の寒晒し施設へ出かけ、今日行う事前作業として排水パンフを外し、排水を行う。帰宅し取り出しや仕込みの資材を準備し、9時30分に他のメンバーもやってきて玄蕎麦2300Kgを軽トラックへ詰め込み、寒晒し施設へ出かける。10時到着(作業終了は15時30分だった)。

今日は総勢15名で、純米酒の方は籾の取り出し作業と脱水するための小分け作業と脱水後、乾燥させるハウスへ運び展開する仕事。そば焼酎の方は玄蕎麦を紙袋から小袋に詰めなおしてタンクに積み、掛け樋に水を掛ける。大仕事の一日でした。

丸子テレビの取材が11時ぐらいから有りメンバーも激写されていたが、誰も気にして避ける余裕がない位の忙しさ。良い画像が撮れたと思います。水曜日には放映される予定だそうです。

『今年のせいしゅん村はどうですか』とインタビューを受け、『ますます忙しくなって、大事な一年になると思います。各地域のやる気のある人が集まって取り組んでいますので楽しみですね』と答えると、『どうして広がったのですか、どこが違うのですか』と再度問われ、『やれる人がやるしかないと気が付き、やりだしている活動ですから動くのでしょうね』と答える。

2008年1月 3日

●正月三が日は忙しかった

忙しい正月三が日だった。
箱根駅伝を見ながら、NHK教育テレビの「メジャー」を見て、年賀状を書く。

箱根駅伝で途中棄権をした学校は気の毒としか言いようがないが、毎日30㎞も走りこんで体力を養っていても当日のコンデションで脱水状態や低血糖症状を引き起こしてしまう。身体が追い込まれると怖いことですね。

メジャー・・・人気のあるアニメーションです。8時30分からお昼まで見たが、目標を持って生きるドラマを、今の子供たちが理解してほしいですね。子供たちに人気があるということは、理解されていると言うことでしょうが。苦労は何ともない、これが自分を鍛えてくれる、と言われる昔流行ったスポーツ根性物語ですが、こんな生き方があることを伝える事がありますか。ほっとステイではこんな話題が沢山有るようですよ。

年賀状は苦戦しています。