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2008年1月31日

●中国の中学生を見送る

6時45分に食事を取り、迎えのバスに乗るために家を出ようと予定していたが、中々思うように動いてもらえず、遅刻気味。遅れて家を出たら、長和に入っていた生徒が、熱が再び出ていると連絡が入る。もうしばらく様子を見ていただいてバスに乗り込ませて貰うことになった。

一台目のバスは、7時20分にバスと待ち合わせし、7時30分から回収を始めるが、最初の家の伏見さん宅が出てこない。行ってみるとまだ準備中。後回しにすることにして、大高木さんに連れて来てもらうことにする。桜井さん以下順調に回収し、8時10分過ぎ完了し、青木へ送り出し。

回収時間が遅れたので、二台目のバスを私が回収することになり、乗り込み、公民館からジャスコのピコへ向かい、8時50分に到着。立科からくる他の一台を待つ。遅れて、9時20分過ぎ漸く立科から到着。すぐに松本へ送り出す。これで一安心。

他のメンバーと話してみたがどこも満足感に満ちあふれていた。良かったな。

皆と別れてから大高木さんと事務所でお茶を飲みながら反省会。

午後は子供たちの忘れ物を立科へ届けに行くと、途中でテレビ信州の野本さんから電話が入る。
45分も話し、番組内で今回のタイトルをどうしよう、どういった内容で編集するかなとの話しを受ける。ありのままを放送してほしいと返事をしたことになります。

3時に立科商工会へ届け、丸子の中川大工宅へ行き、仕上がった欅の看板を頂いてくる。

夜、丸子テレビで放映。伊藤肇さん宅でお孫さん2人を交えての交流が入ってから送り出すまでを順を追って放映してくれた。


2008年1月30日

●中国中学生ほっとステイ

午前中、『ふるさと回帰予備校』の看板を作ろうと、欅の板を中川大工さんに届ける。刻み場で気取りを立会、良い板が取れそうで、仕上がりが楽しみです。

帰宅して車庫へ車を入れたら、脇に瓶詰されたケースが置いてあった。搾油を頼んであった『エゴマ』が木曽の上松町から届いていたのでした。普及センターの桜井さんが届けて呉れたのですが、生憎と私が留守で妻が受取っておいた『エゴマ油』は、綺麗なコハク色した油でガラス瓶に入っていて、どんなものかが楽しみです。

2時15分、定刻に中国深セン外国語学校の中学生たちが、長和町の道の駅『マルメロの駅』に到着。ほっとステイ&民泊に来たもので、長野県・観光協会の恵崎常務理事に先導されてやってきました。県もインバウンドとして、外国からの観光客を増やそうとして誘致活動をおこなっていますが、全国的には14番目にランクされる観光客数なので力が入っており、今回はその一環で受け入れを行い、バスはこちらに2台、立科に2台の合計4台、186人です。

いつものようにバスで各家庭に配って歩きました。訪問者の「名前」と「歓迎」の中国語文字で書かれたカードっを、掲げて待ってくれた受け入れ家庭に中学生をお願いして、先生方と添乗員を我が家に案内しました。

中国にも農村部はたくさんある中で、今回の行事の目的を先生にお聞きしてみたら、『中国の農村部は、生活水準が苦しく、しかも環境は悪化していて困っています。日本の農村の暮らしぶりと周辺の環境を見せ学ばせ、これからの中国に生かしたい。』と話してくれました。凄い目的意識ですね。

お茶のみ後、受け入れ家庭を回って歩きましたが、村の中を車で走っていると先生方は『綺麗ですね、美しいですね』の連続で言いますので『そうですかね、普通ですよ』と答えたら、みな一様に驚きました。『中国の農村部は全然違います。環境を守らなくてはという意識が全然ないですね、これからは環境を守らなくてはいけないです。』と話してくれましたが、話と行動が伴っていないようです。

行った先々では、各家庭での交流風景をテレビ局が取材に入り、インタビューを繰り返されて大変です。でも家庭は上手に、受け入れを普段どおりにやってくれていて助かります。先生方も楽しそうに歩かれました。

夜10時前に、日本のテレビニュースを見ますかと言って、スイッチを入れたら『毒入りギョウザ』の話がトップニュース。ちょっと気まずいなと思ったが、そのままつけて通訳を介して環境論議。良い体験がこちらもできました。


2008年1月29日

●元気作り支援金申請を取りやめ

8時15分に家を出て上田に向かうが、次々と電話が入り、そのつど車を止めて話をしていたら、9時になってしまって漸く上田の水野さんのデザインルームエムさんに到着。『ふるさと回帰予備校』の製本について変更部分を打ち合わせ。

市内の現場で益子塗装さんが最後の仕上げ工事。私からお茶を勧められいただく。中川大工さんが昨日やってきて、お施主様との楽しいやり取りの顛末を微笑ましくお聞きする。皆いい職人さんだとおほめの言葉をかけてもらう。嬉しいですね。

帰りに中川大工さんのお宅へよって、養生紙を届ける。スズメを取る仕掛けがあり、こんなもんで取れないでしょうと話しかけると『何言うだい、これがいちばん取れる仕掛けだよ』と、説明をしてくれる。昔子供の頃、炬燵にあたりながら、こんな仕掛けを作っていたずらをしていたことを思い出す。

帰宅してメールを見て、長和町の洩りモリケンさんへ伺い、明日の中国中学生のバス運行について立科と調整しながら決める。

午後は長野県の『元気作り支援金』の手続き書類を作成しだすが、どうも気が乗らない。あまりにも行政に頼り過ぎることが、気乗りしない理由ですが、どうしようかと悩みっぱなし。

3時に大高木さんがきて相談、結局見送ることにしてしまう。明日の中国受け入れの手配を再確認して、私は県観光協会の宿題、『冬の学習旅行推進提案書』を作成。

今日は息子の誕生日、聞いたら『三十路になった』そうです。

日本農業新聞のトップページに掲載された記事が目に付いた。
見出しは


食料の海外依存「危険」


首相 目も見ず答弁


農業理解「深めるべき」


「食料は海外でいくらでも買えるという考え方は、極めて危険だ」---。

福田康夫首相は28日の衆院予算委員会で、日本人の食料をめぐる世界情勢が様変わりしつつあり、厳しい現状把握が必要だとの認識を示した。自民党の遠藤利明氏の質問に答えた。

福田首相は「今までは極端なことを云う人は『金を払えばいくらでも輸入できるんだから』という乱暴なことを言っていたが、そうはいかない事情が出てきた」と指摘。食をめぐる不安定要因として地球温暖化や水不足、世界的な人口の増加を上げた。

首相はさらに、食料の安全保障について「農業に対する理解を深めていく必要がある。国民世論も今までは割合のんびり考えていたかも知れないが、今はかなり深刻になりつつあると思う」と、国民が意識を高める重要性を指摘した。

首相が答弁メモを見ず、食糧問題でこれだけ踏み込んだ見解を示したのは初めて。

2008年1月28日

●長野県庁へ行く

今朝は氷点下12度。寒くて嫌になります。

7時に家を出て長野市へ。9時に県庁へ飛び込み,、農政部の熊谷係長と、『ふるさと回帰予備校』の教本への県庁農政部の推薦の言葉をいただきたいとお願いしていた件で、仕上がった原稿を手渡し、再度確認をお願いする。何とか30日にまで間に合わせて私たちにお渡ししますと言って頂き一安心。

次に観光部へ伺い、観光部で仁科係長や田舎くらし案内人の若林さんと『ふるさと回帰予備校』の推薦の件で説明をする。農政部と協調して行って貰えるらしいのでうれしい限りです。

10時30分、長野県・信州観光協会へ伺い、恵崎常務理事と30日に来ていただく中国深センの外国語中学校の受け入れ前の詳細打ち合わせをし、そのあと『ふるさと回帰予備校』の推薦状をいただきたいと再確認をさせてもらう。こちらも快諾を頂き、すぐに間に合わせますと返事をしていただく。

11時過ぎ、テレビ信州の本社へ伺い、平坂局長にお会いし、観郷ウォーク事業の件でお話をする。同席をお願いしますと云われて同席された方がなんと、神田企画局長だった。テレ信さんも気合が入っています。企画書を作成して私たちと相談し進めていきますと言って頂きました。12時に退社。

12時40分、上田の柳町の『おお西』で大阪の中本さんと福井の山崎さんにいお会いし食事を一緒にして、お互いの安否や仕事の先行きを語り合う。2時20分まで。

3時10分過ぎ、立科の新春経済講演会で、長野大学の三田先生の講演をお聞きする。群馬県川場村の道の駅を運営されてきた先生のお話は、当初から大きな箱ものを作らず、民家風の小さな建物を造り、田舎の風景を感じさせることで誘客に結び付けてきたというお話は示唆に富んでいた。

4時過ぎに講演が終わり、立科の吉澤さんと中国の受け入れや観郷ウォークの件で、女神湖の青井さんを交えて話し合い。

帰宅してから寒晒し施設で、蕎麦の展開を大高木さんや鈴木さん、女房の作業を確認しながら手を入れる。

夜7時に大高木さんがきて、明後日の中国中学生の受け入れ準備。歓迎のプラカードと対訳、バス運行表を作成する。10時に終わって自宅に引き揚げ。


2008年1月27日

●教本のチェックシート作成

氷点下11.5度。昨日よりもさらに下がり、この冬の最低気温を更新する。空気が痛く感じます。このまま続けば30日から来る中国の中学生が可哀想ですね。

朝からふるさと回帰予備校で使う教本の原稿書きの本文を訂正後、画像を探し出し、張り付ける作業をするが中々見つからなくて往生するが、昼前にやっと仕上がる。午後はチェックシートに取りかかり、これを仕上げる。

4時過ぎに大高木さんがやってきて最後の原稿の調整。訂正場所を確認して、明日県庁に行って打ち合わせするための見本本を作るためにコピーをして、製本する。6時の完了。

夜7時から区の新年度の常会。私が行く予定だったが電話が入り、後回しできない電話だったので妻に行って貰う。今夜は早く進み終わって帰ってきたら7時45分でした。私の電話が終わって間もなくだった。

2008年1月26日

●教本の原稿を渡す

寒い朝だ。氷点下11度、この冬一番の寒さでした。事務所の水道が凍ってしまった。

午前中でようやく私が書いていた分の教本の原稿が書きあがる。あとは大高木さんに任せてある分の仕上がりを待つだけですが、手間が掛かっているようです。

12時45分、上田の信州大学繊維学部感性工学科で開かれた『感性産業研究会』に出席に出発。1時30分に開かれ、清水教授の講演の後、昨年行われた『感性祭り』の報告で絵本作りの詳細が発表された。時間切れで本題に入れず会場をあとにする。

4時に依田窪病院へ行って、おばさんの主治医の先生から容体と今後の過ごし方をお聞きする。骨粗鬆症による脊椎圧迫骨折で、痛みが取れてきたようだが、これからは骨折の痛みによる腰の痛みは少なくなるが、今度は坐骨神経痛で足の方が痛くなるので、両方の様子を見ながらリハビリを行うようになります。元気になったと言って家に帰るなんてもってのほかで、このまま家に帰ってしまえば、良くなるものも誰もいなくて一人暮らしをすれば無理するようになってしまいだめですよ。4月いっぱいはリハビリできる老健施設に入らないとだめですとハッキリ言われてしまう。おばさんも良く分かったようです。

7時にデザインルームエムの水野さんに原稿を持ちに来て頂く。この間、長野県庁に行くときにお会いし、打ち合わせしてから日にちが経っていないのに、『良くここまでできましたね。この内容は凄いことが書かれていますよ』と驚かれてしまいました。こちらとすればいつも考えていることだし、やっていることなので全然苦にしないことだから、当たり前に書いてしまうのですが、普通はそうにはいかないようですね。旧上田市内の動向を話してくれたが、どこも不景気で困っているようです。頑張らないといけないですね。9時過ぎにお帰りになる。

2008年1月25日

●目が痛いです

一日中、本の原稿を書く。さすがに目が痛くなってしまう。
毎日新聞の「トクプレ」の原稿が届きました。さすがデザインが違いますね。格好いいですよ。

小諸の大西製粉の社長と今年の『寒晒しそば粉』の商品化について電話が入る。200㎏ほど玄蕎麦を欲しいとのことで、調整してお譲り出来るか検討しますと返事をする。

県の農政部に教本の裏表紙に県の推薦状を書いて頂きたいので、来週の月曜日にお伺いたい、とお聞きし了解を得る。完成形の原稿を持ち込み、目を通して頂き、なんとかお願いするつもりです。

寒晒しそば焼酎『寒九郎』の製造量について佐久の橘倉酒造の井出社長と相談。純米酒のことも含めて、お伺いして決めましょうと言う事になった。

夕方おばさんのところへ妻が作った『炊き込みごはん』を持って母親と一緒にお見舞いに行く。すっかり元気になってきて意気軒昂。自宅で一人暮らしができると言いだして、考えていた段取りを否定して暮らしは変えなくても今まで通りの暮らしができると言い張り、最後は説得を諦めて帰ってくる。

2008年1月24日

●ふるさと回帰予備校:教本

朝一番で大高木さんと『ふるさと回帰予備校教本』について相談。書く内容と表現方法について、読者に誤解を与えないようにし、さらには信州へ来て下さいとしっかり書きこもうと確認。今週中に書き上げ、土曜日の夜にデザインルームエムの水野さんに原稿を見せて良否を確認してもらい渡すことになった。午前中は原稿書き。

午後、増子塗装さんと上田の現場に工事の打ち合わせに行く。雪が降り思うように仕事が捗っていず、来週の月曜日と火曜日にかけてやることになる。

電話が入り、双子塚のお客様宅からで、水路敷きの占用許可の更新を行うように葉書が来たので、見てほしいとのこと。
帰りによって確認。更新をしてくださいとお願いしてくる。

3時に帰宅してふるさと回帰の教本の原稿書き。

2008年1月23日

●東京へ行く

7時前に家を出て上田駅へ。今日は東京出張です。7時49分上田発、途中大宮あたりから雪が降り出し、9時15分に東京駅へ到着した時はカメラを取り出して写したいぐらい雪が降っていた。家を出るときは雪降りの気配すらなかったのに東京で雪に会うなんて不思議ですね。

10時に高速道路交流推進財団に新年になっての挨拶に伺う。昨年私たちの『信州・桃源郷街道』の事業計画の提案に対して、3年間で1000万円の補助金を出していただいたのでした。財団では「第一回観光資源活用トータルプラン」を募集し、57の応募があり、私たちは第一席にはなれなかったのですが、優秀賞に選ばれ、参加グループの立科・青木・真田・長和の皆さんと喜び合ったものです。

お陰様で、『信州・桃源郷街道マップ』や『観郷ウォーク』の事業が行われだし、新たな地域活性化活動に進みだしています。まだまだ不十分ですけれど、形になってきていますと報告し、理事長や専務さんと名刺交換をして辞する。

次は14時に神田の近畿日本ツーリストの教育旅行。11時30分に神田に到着したので、早いので周りを歩きお昼にしようと通り過ぎて行ったら『日本農業新聞』の看板が目に入る。私たち信州せいしゅん村は今までに、この社の新聞の第一面に4回取り上げて頂き、掲載されたことがあったので、知り合いの記者に電話を入れてみる。『ああ小林さん、しばらくでした。・・・ぜひお立ち寄りください』とのことで13時に立ち寄る。

高速道路推進財団や観郷ウォークの話をし、更に『ふるさと回帰予備校』の教本作りを行っていて、丁度原稿を持っていますので、どうぞ見てくださいと御覧に入れる。驚きの声を揚げ『これすごいですね。出来上がったら教えてください。いつできるんですか。取材に行かして下さい』と云われる。どうぞお越し下さいと予定を告げ、帰る準備をし始めたら、『ちょっと待ってください。今我が社でキャンペーンを行っている「田園立国」の担当者が来ますので、先ほどの話をもう一度詳しく話して下さい』と言われてしまう。近ツリさんに遅れますと電話を入れ、再度話すと『全国で取材をして歩いているけどこんな本を見たことないですね』とやはり想像していたことおっしゃられ、隣では私たちのやり取り風景をカメラでバシャバシャと撮影され、帰り際には顔写真まで背景を整えてとられてしまう。どうなるやら解りません。

14時40分、近畿日本ツーリストの担当者と話をし始める。例によって『全国のどこの行政でも同じグリーンツーリズムで取り組み、売り込みに来ます』と言われ、気の乗らない対応をされ始める。いつものことなので自分の資料を開き、『ほっとステイ』の説明を始めると目の色が変わるのが分かるぐらい聞きはじめてくれ、最後は『うちの新入社員にも、よく教育をして頂きたい』と懇願されたような感じだった。

16時42分、東京発で帰路に就く。い一日だった。

2008年1月22日

●病院・病院、また病院

上田の現場に大工さんと内装屋さんが入り、仕事に取り掛かる。立ち会い。
上原自動車と住建、本屋によって、10時45分帰宅。

11時に依田窪病院へおばさんの介護の相談に行く。おばさんの自宅のある丸子へ介護リハビリの方3人とで行き、家の中を見て退院後の生活がどうできるか確認し、リハビリを進めたり、改造計画を話し合う。

戻ってレストランで昼飯を食べていたら、姫木平の牛山さん達と行き会い、同席して貰って話し合う。『ほっとステイ』や中国からの中学生受け入れについての報告やら、これからの協力体制について話し合う、2時25分切り上げる。

今度は大屋の病院へ行って入院中の叔父さんを見舞う。介護士さんも同席し、これからの対処の仕方を相談し帰宅。

再び、依田窪病院に入院しているおばさんのところへ行って、午前中の自宅調査の報告をする。『全部任せるから上手くやってくれ』と頼まれる。

帰宅してみると宅配便が届いていて、開けてみると『アクティブ報知』が入っていて、その紙面に大きく、昨年行われた『ほっとステイ』と『観郷ウォーク』が掲載されていた。取り上げていただいて本当にありがとうございます。

その後夜まで本の原稿書き。

2008年1月21日

●ハッパを掛けられる

朝一番で、上田市内の施主さん宅へ中川大工さんと玄関框の打ち合わせに行く。幅7寸の板になるが寸法が取れるかどうか心配だったので、再確認したのでした。大工さんの加工場で墨を打って木取りをしてみたら、何とかギリギリで取れる寸法だった。(欅に白太がない赤身だけを使いたいので苦労しました)10時過ぎに帰宅。

午後2時前に税理士さんがやって来て、年末調整の手数料をお支払いし、今年の動きを話す。ハッパ掛けられる事だらけで、頑張りますとしか云えません。

夕方、名古屋の不動産屋さんから、近くの土地建物を売りたいと相談されたので、評価額を教えて下さいと電話が入る。遠いところで相談が入ったものですね。

10時30分過ぎから夜まで本「ふるさと回帰」の原稿作り。目が痛くなった。

2008年1月20日

●寒晒しの取り出し

9時時余里の寒晒し施設に出かけ、玄蕎麦2,300kgの取りだし準備を行う。昨日よりさらに寒くこの冬一番の寒さだった。火を起こし暖を取るようにして、取水口の引き入れを止め、排水パイプ部分の防寒の覆いを取り、パイプを川に流しこみ排水を行い、脱水機を持ってきて据え、掛け樋の氷を取り除き、タンクの蓋を外して、上り下りの足場を造り、10時参加者を待つ。今日は総勢10人、良く集まってくれた。

脱水機が3台なので手間が掛かってしまいどうにもならない。最初の分を藪合の橋詰さん宅へ持っていく。橋詰さんは御歳84歳になりますが至って元気。ほっとステイを受け入れてもらっていますが、今回の乾燥作業も3年連続で行ってもらいます。ありがとうございます。鈴木さんのハウスにも持って行くと、前回のモミを遮光ネットをしっかりとめて乾燥作業をやってもらっていた。驚くような純米酒になりますよ。

後片付けをしっかりやったら、結局4時までかかって終了。みなさんご苦労様でした。
帰宅したら全国都道府県駅伝大会で長野県が4度目の優勝を飾っていた。おめでとうございます。

事務所で本の打ち合わせを大高木さんと行う。36ページの立派な本になる予定です。ページの下部につけていたチェック部分を、『田舎暮らし理解検定』として呼び、その体裁を整えることにする。まだ書いていない部分の原稿を書いていたが、疲れて眠くて仕方がなく止め。

2008年1月19日

●中国中学生ほっとステイ

昨夜の会議ボイコットした件で、主催者の柳原さんと電話で話し合う。このままの会議体だと成果なんてついて来なくなってしまうので、もう一度原点にかえって人選からやり直したらどうですかと提案させてもらう。名士や役職を集めて組織し、門外漢と言って話を始めるようなことでは駄目。自分の夢を語り合い計画をして見せないと、全部人任せになってしまうし、二重権力構造になると実行部隊が動かなくなってしまうよと言ってしまう。言い過ぎたかな。

本の原稿書きをやっていて書いた原稿で、13番の項目2ページ分を間違って昨日を削除してしまったので、その部分を最初から書き直しになってしまった。書いたことを思い出して書く作業はイメージが残っているのでとても書きづらいですね。午前中書いていた。

寒晒し施設が全面結氷、14時に氷の取り除き作業に出かける。明日は取り出し作業日なのですが、このままにしておくと、タンクに入っている蕎麦の袋が凍ってしまい、取り出しても脱水ができなくなるので、このままではおいて置かれません。今までで一番強く張った氷は写真の通りです。

病院へ丸子のおばさんをお見舞いに出かける。86歳で一人暮らししているおばさんは、跡取りをする子供さんがいないのでこれからを心配してよく眠れないとのこと。困ったことです。後々の事の面倒を甥っ子の私にして欲しいとお願いされた。

伊藤肇さん宅へ中国からくるほっとステイの中学生を受け入れてほしいとお願いに行く。飯田さんの100歳のおばあちゃんの具合が悪く、受け入れに支障が出そうなので代わりの方にやって欲しいと申し入れがあったので伺ったのです。お孫さんが中学3年生で丁度良いし、国際貢献だからねと言って受けてもらえた。良かったです。

本の原稿を書く。

2008年1月18日

●慌てた一日でした。

朝から本の原稿を書き上げて10時30分には長野県庁へ出かけて行こうと気合が入る。今日は県庁の農政部と観光部と観光協会の3か所を回り、本の推薦文を書いて頂き、それを本に乗せさせて欲しい依頼するつもりでした。

書いていると、急ぐ気持ちとは裏腹にパソコンに負荷が掛かって、唸ってしまってどうにもならない。大高木さんもチェックリストの項目を保存しないで添付に書き込んでいたので、私に送ってくれた原稿はまっ白白。どうにもならない。大至急やり直しますと電話が入る。私は重くなりすぎたので、原稿を三つに分けて、取り敢えず削除して印刷をする。そこへ大高木さんがやってきて11時30分に出かける。

上田のデザインルーム・エム・水野さんの事務所で、印刷の打ち合わせで、本の見本を見たり見積もりの話をしに行く途中、今日の県庁での主要議題が印刷されていないことに気が付き、武石の事務所にいる妻に電話、水野さんの事務所に送ってくれと頼み、行ってみるとついていない。操作してもそっちに行かないという返事。昼食を取って再度確認するが遅れないと云われ、武石へ戻り確認する羽目になってしまった。

武石で確認すると重くて送れない状態だった。送らずに再確認すると大事な部分が消去されていてなかった。私があせって午前中消去していたのでした。どうにもならない。

書類がないまま2時過ぎ長野県庁へ出発。途中でテレビ信州から電話が入り、観郷ウォークの件でスポンサーをつけて良いですかと云われ、了解しますと返事をする。進めてもらっています。

県庁へ3時40分に到着。それぞれに伺って推薦依頼の話をすると、『せいしゅん村さんのやることは面白いことを計画しますね。これは良いですね』と言われ、胸を撫で下ろす。観光協会で恵崎常務と中国からのほっとステイ受け入れ手配を話し合い。こちらも着々です。

上田市へ19時前に帰り着き、市内で開かれていた会合、『うえだまちづくり推進会議』に出席。出席してみたら余りにも不甲斐ない話で、懇親会に出席する気持ちにならず、家に帰ることにする。20時前帰宅し、パソコンに向かうが消去した原稿を書き直すのは大変。23時、」目が痛くなってやめてしまった。


2008年1月17日

●SBCラジオに出ました

9時過ぎ、上田の現場へ出掛け、施主さんが床を張りたいと言ってきたのでお茶を呼ばれながら話し合う。おおよその見積額を呈示しながら検討して頂き、居間を張るより先に、廊下の段差解消工事をやることになった。台所の床も張り替えることになったです。

昨夜送ってあった毎日新聞の募集冊子掲載での原稿を見て、担当の中島さんから帰宅途中に電話が入り、その体験講習会の資料を作り再度送付。忙しい。

12時50分、公民館でSBCラジオの女性アナウンサー斉藤さんと待ち合わせ。余里の寒晒し施設に行って、1時40分から5分間の生放送に出て、寒晒しについて話す。

下に降りて斉藤さんに事務所に寄って頂き話すと、信州せいしゅん村の事をほとんど理解していなかったので活動状況を披露すると驚き、これからは是非ドンドンと寄らせて下さいと云うことになりました。

お帰りになった後、本の原稿作りで大高木さんと打ち合わせ。大筋で方向性を確認。23時過ぎまで執筆。


2008年1月16日

●第23回信州桃源郷街道実務者会議

本の原稿を切り上げ、9時前上田市内で先日の雨漏り騒動のあったお宅へ行く。大工さんが仕事に入って天井張りを行ういその立ち会い。9時15分、市役所と話し合いを行うお宅へ行き待っていると、部長と課長・係長がやってくる。上田公園に有る観光会館横の建物売買を話し合う。売却すると言うことで価格を提示して貰うことになった。11時に税理士事務所により、再び天井張り替え現場へ行き、内装工事の確認。皆手はず良く進めていてくれた。12時20分帰宅。

立科で13時30分から第23回実務者会議を行う。今年初会合ですので新年挨拶、気合いが入ります。ほっとステイ・観郷ウォーク・協会立ち上げ・大学連携・高速道路事業・元気作り支援金・話すことが一杯。3時過ぎ長野県観光協会の恵崎常務がお見えになり、1月30日に中国からの『ほっとステイ』受入について話し合い。受入姿勢からスケジュール・バス運行時間等の話し合い、全地区の確認をし合い本格的な受け入れ態勢を取ることになった。16時前に散会。

立科で引き続き18時30分から中国受入に対する家庭への説明会に出席。住民の熱意を見た。受入の心構え等を話し合い、その後中国残留孤児の帰国者家族で30才の小林さんが中国語講座を開いてくれ学習会。13才で帰国し、17年間日本に入るそうで両方の言葉を苦もなく操る。いい人がスタッフに加わってくれた。9時迄。

2008年1月15日

●本の原稿

一日中、本の原稿を書く。長野県庁の農政課へ電話を入れて、今書いている本の内容を確認してもらって、アドバイスをいただきたいとお願いすると快諾を頂く。今週中に持ち込む予定にさせてもらう。

東京の旅行エージェントに電話を入れ、『ほっとステイ』の営業活動に訪れたいとお話をすると、来週の水曜日だったら良いとの返事をいただいたので来週行くことにします。ついでに寄りたいところがあるので訪問計画を練ってみます。

本の方はもう少しになりました。大高木さんに確認してもらう為に原稿をメールで送信。明日は立科へ出かけるので情報交換をやっている時間がないのですが、大高木さんの方も忙しく仕上げているようです。

2008年1月14日

●寒晒しの氷取り除き

午前中はふるさと回帰予備校の教本『納得、ふるさと回帰』の草稿を書く。今週中には書き上げたいので力が入ります。4時過ぎに大高木さんと本の体裁について話し合う。ページ数にこだわらないで減らす部分も有っても良いことにする。分担を決めて書いているので進み具合を確認。

中国の深セン外国語学校から『ほっとステイ』にやってくる中学生受け入れ資料を取りまとめていますが、なかなか資料が集まってこないので、各地域へ連絡をするが、連絡が取れない。

2時から余里の寒晒し施設で、氷の取り除き作業を5人で行う。午前中に取り除き作業に行っても、氷が解けてきていないので無駄になってしまうのでこの時間になります。掛け樋がガンガンに凍ってしまっていて、久しぶりの寒い中での作業でした。幸いに玄蕎麦を漬け込んであったタンクの中は、防寒対策が施してあったので強くは凍っていなかったのでそのままにして通水してみたら無事に放水パイプから水が流れ出してきた。胸を撫で下ろす。

夜7時30分過ぎ、隣町の長和町の『おたや祭り』に女房と出かけてみる。お宮に参拝するときは最高の人出の時間帯でした。姫木平の小金沢夫妻と今年も境内で行き会う。巡り合わせってあるものですね。今年もよろしくと笑顔で挨拶を交わす。山車は5か所、子年に因み、ネズミの嫁入りの場面等が飾られていた。

2008年1月13日

●久し振りの兄弟再開

鈴木さんが朝一番で「寒晒し」をやっているところに架けた遮光ネットの領収書を持ってやってくる。代金を支払いながら、昨夜の『のうのうの会』には出席してもらえなかったので会議の内容を伝える。これからの販売計画で体制を整えて、みんなで広告を作って売っていこうと協力を求め、ぜひお願いしますと快諾を貰う。

信州せいしゅん村のホームページをリニューアルしようと、10時過ぎ息子から電話が入り見直しを始める。以前からやろうやろうと言いながら時間がたっているので、当初計画を見直してみれば今の活動状況と大分違い、驚くぐらい活動が進んでいるなあと実感。計画を練り直して進めていきます。 

お昼に東京のおじさんがお墓参りを兼ねて3人でやってきた。久しぶりの里帰りでお昼をゆっくりと召し上げっていただく。帰ったら入れ替わりに名古屋の弟夫婦が依田窪病院に入院しているおばさんをお見舞いにやってきて、我が家にも年始で来てくれた。近くの弟夫婦も読んで話っぱらう。

ふるさと回帰の本の原稿を書く。ようやく6番目まで進んできた。手間がかかります。

2008年1月12日

●日本農業新聞に載った

冬なのに雨、バグダッドでは100年振りの雪、どうなっているのかな。

日本農業新聞を開いたらビックリ、我が女房が大きく乗っていた。昨日の『ほっとステイ』の受け入れで、我が家ではお餅を搗き、その後のきな粉とあん粉を付ける指導をしているシーンだった。当日来てみたら大騒ぎをしてお餅を千切って、千切り方が悪いの熱くて駄目だのと云いながら女子生徒がやっていて、男子生徒はきな粉とあん粉を付けていた。『食べられるだけ付けるんだよ』と云って他へ廻ったが、食事時に訪ねて見ると食べきれないを連発していたのを思い出す。

本の原稿を書いていて小降りだった雨が雪に変わり始めた11時頃、電話が掛かってきて出てみると上田市内のMさん。20年ぐらい前に住宅を建てさせて頂いた元校長先生で、小雨の中で雨漏りがしているので来てほしいとの連絡だった。中川大工さんに連絡を取り、ただちに出かける。確かに雨の音がするので天井を切り抜いて調べてみると2階のバルコニーの屋根から滴り落ちている「雨音」だった。でも天井板には確かに大きな雨漏りの跡が残っていて、可笑しな状態で不思議なことです。原因がはっきりとしないのですが、とにかく雨漏りでないことは確かだった。天井板を後日張り替えることになり、お昼を用意していただいたので皆さんと一緒に頂く。昔話に話が咲き、懐かしい時間を過ごし、帰宅。夕方まで原稿書き。

夜7時から『のうのうの会』。新年会の声掛けをしなかったので参加者は8名。活動を通して地域問題に話しが行ってしまう。地域活性化の取り組み方法や将来性が行政と連動してどういう風になるのか話は尽きない。毎日新聞のメディアに蕎麦焼酎『寒九郎』と純米酒『the幸村』を掲載することになった。反響が楽しみです。

2008年1月11日

●冬の『ほっとステイ』受入日

埼玉県白岡南中学校の1年生147人がほっとステイにやってきた。冬の受入は私たちも初めてのケースで受入家庭は何をやって過ごすのかなーと思っていましたが、無事に終わり送り出しました。

11時30分の到着予定でバス運行表を作成し臨みましたが、途中から電話頂いた時には早く到着するのが判りましたが、35分も早く、10時55分に到着。普通は15分前にはメンバーは集合して事前の手配確認をして、お待ちしているのですが、今回メンバーの一人は家を出ていてしまって連絡が付かず、11時10分に駆けつけてくれました。そして10分早くスタートする事になり、受入家庭に到着時間訂正の連絡をしておいて、バスを案内、家庭に降ろして、お任せする。

例年だと二泊三日で三日間のスキー合宿を行っていた学校さんですが、学年の取り組みの中で農業活動に積極的に取り組んで来たので、延長上に私たちの『ほっとステイ』を選ばれたとのことでした。

教頭先生達を家庭に案内=巡回、して歩きましたが、予想通り各家庭でそれぞれの事をやっていました。これを見て先生方は『何処の家も違いますねえ』と良い印象を持たれたようです。善男さん宅では蕎麦打ち、小林さん宅は臼で餅つき、飯田さん宅は雑煮造り、塩之入さん宅は食後の勉強、鈴木さん宅はお茶を飲みながら勉強、中島さん宅は食後の三歩、宮坂さん宅は人形造り、佐藤さん宅はマレットゴルフ、伊藤さん宅はお茶を飲みながら戦後の話し、橋詰さん宅は五目並べ、伏見さん宅はトランプ百人一首、フミエさん宅はともしび博物館、etc

先生方の班は宮下さん宅で「干し大根作り」。宮下のおばあちゃんが冬中掛かって作るそうですが、教は大人が来てやってくれたので『はかいった(捗った)』と云って喜んでいましたし、体験した先生方も『良い体験ができました。本当に面白かったです』と非常に喜んでいました。

バスの見送りの際は、生徒さんが窓から身を乗り出し、大きな声で挨拶をして手を振って帰って行く姿を見て、『良かったんだなあ』と言ったら、『だれだれバスの中では、スキーなんかやりたくねえ、三日間武石に居てえって大騒ぎしていたど』と上原さんの言葉。本当に良かったんだなと思うと同時に、一安心。良かった良かった、評価はこれからですが。

日本農業新聞と丸子有線テレビ、上田ケーブルビジョンの取材があった。報道が楽しみですね。

今日は私の誕生日、57才になりました。大好物のおいなりさんをたくさん作って貰い食べ、食後のデザートは東京の息子が送ってきてくれた暑さ15センチもあるバームクーヘンで紅茶。満腹・満腹でメタボが進行してしまったかな?


2008年1月10日

●本、『納得、ふるさと回帰』書きます!

明日ほっとステイに来る白岡南中学校のバス運行表を作成し、学校とエージェント様へ送る。冬にお見えになるのも初めてですが、先生だけの班を作って見えるのも初めてです。家庭でどのように過ごされるのか興味がありますが、どんな印象が述べられるのか、私はこちらの方が楽しみです。11時30分過ぎに待ち合わせ場所に来て、家庭に入っていきますのでお昼頃になってしましますので、家庭に来て直ぐにお昼作りを一緒にやって、食べれれば最高ですねと話してありますがどうなりますか、各家庭を訪ねてみたいと思います。冬ですから農作業は無いようですので、炬燵にあたってお餅でも食べながらお話をする家庭が多いのではないでしょうか。夏に再び着たいとのことですので、話が弾めばいいです。

午後は昨日水野さんにメールで原稿プランを送り相談した本、『納得・ふるさと回帰』を書く話しの件で、アドバイスを貰ったので、それに沿って筆を進める。計画した通りにページは作ってはいけないですね。来週中ぐらいには原稿を仕上げて次に進んでいきたいと思います。

2008年1月 9日

●繭玉の柳の木

1月30日に中国深センの外国語学校中学生が『ほっとステイ』に来てもらえる様になっていますが、その受け入れ資料を作成し、各地区の皆さんに配信する。答えを記入して返信してもらうのですが、寄せ集める資料を一つの資料として整えていくのは大変です。今週中に仕上げて中国側へ送らなければいけないので、これからが頑張りどころです。

午後、この15日にどんど焼きで使う「繭玉」を飾り付ける柳の木を取りに出かけてみたが、探してもなかなか見つからず焦ってしまう。あるのはアカシア(ニセアカシア)だけ。もの凄い繁殖力に驚かされてしまいます。どこの場所へいっても蔓延っています。河川管理者の国交省河川事務所では取り除き駆除する計画をたてるのですが、養蜂家からは上質な蜜源になるアカシアを切られてしまうと商売あがったりになると主張され、反対運動が繰り広げられています。河川管理者が一番問題にしているのは、アカシアの木が流路を塞ぐようになってきて、台風が来て増水したときに流れを遮り、氾濫を引き起こす恐れがあるからです。自然保護の面からみるとアカシアは外来種で好ましくない木なのですが、駆除か保存かどちらを優先するか、場所場所の判断をして進めるしかないでしょうね。

でもアカシアと言えば、武石体育館脇の河川公園にもアカシアの大木が生い茂っています。夏の間、炎天を遮り、バーベキュー場所を木陰にしてくれ、憩いにきた人達に安らぎを提供してくれますので、同じアカシアでもここのアカシアは養蜂家と同じで、人間は恩恵に浴しているはずで、ここの木を切ってしまったら非難ごうごうですね。ところでここの川は、この近辺では最高の場所ですよ。川の水は綺麗で適度の流れがあり、子供さんたちでも安心して川遊びができるし、バーベキュー炉が付いていて誰でも無料で使えますし、清掃も行き届いていて気持ちよく使えます。是非遊びに来てみてください。

柳の木はようやく探し当て小枝を3本切り取ってきましたが、探している間に倒れていてもまだ生きている竹に巡り合いました。実は以前から我が家では暖炉で薪を焚いていて、火の付き具合が悪いときに「火吹き竹」を使っていましたが、この「火吹き竹」に割れが入って息が抜けてしまい、女房から『何とかして」と言われてのを思い出し、切り出してきて、帰ってからご覧のような立派な「火吹き竹」を作り、女房からはとても喜ばれましたが、腰の曲がり具合が悪くなった年老いたばあちゃんからは『もう10センチも長ければよかったね。吹きづらいや』と言われてしまう。年を取ると云うことを理解し、さらには知恵を早く身につけないといけないと反省した次第です。

夕方、上田の水野さんに『納得・ふるさと回帰』の本を書きたいので、作ってある資料を送るので見てアドバイスをいただきたいとお願いする。協力しますと返事をいただくが、本作りは大変だと言われます。やらないといけないとの思いだけで作れるのか不安があります。


2008年1月 8日

●中国の中学生受け入れ

朝から12時30分まで、昨日に引き続き「ほっとステイ」受け入れ家庭を回り、中国深セン外国語学校の中学生の受け入れを打診して歩く。受け入れ家庭とは昨秋以来の久しぶりの対面の家もあるので話が尽きなく時間がとても掛かります。でも来るのを待ちわびていた雰囲気なので、お話を聞かずに帰るわけにはいきませんね。どの家でも『寄って行ってくれ」と、家に上がりこんで、お茶を飲んでいってくださいと勧めてくれます。

鈴木さん宅では居間の中にカニバサボテンが一杯に飾られていてとても見事なもので、『お茶をどうぞ」とお茶請けの野沢菜とノリ大根の漬物を添えて出していただきました。中国からの訪問者の引き受けのお願いをすると、昔、鈴木さんもフィリピンで2年間仕事に就いたことがあり、その時にフィリピンの農村部を案内して貰い、家に寄りこんで、そのお宅でお世話になったことがあったそうです。こんな体験をしていましたので、交流することの素晴らしさを実感していましたから、すぐに快諾を頂きました。

家庭を回った中で、受け入れ可能人数が予定数よりオーバーになったので、調整して受け入れ家庭に割り振り、無事受け入れ家庭の準備ができ、一安心。1軒で3人から5人の受け入れとなります。当初計画では30日の14時30分に到着し、翌日の9時にお帰りになる受け入れ事業です。

他の受け入れ地区も予定がついたので、県観光協会の恵崎常務とこれからの段取りについて話し合い、中国側との取り決めも確認していただくことになりました。

そのあと、ほっとステイと観郷ウォーク体験研修会の開催準備を一緒になって進めていただきたいと申し入れ、了承してもらう。ありがとうございます、お世話になります、よろしくお願いいたします。

2008年1月 7日

●市との話し、冬のほっとステイ

1月30日に中国の広州シンセンからやってくる深セン外国語学校の中学生191人の『ほっとステイ』受け入れをして貰う武石分の家庭を歩く。とりあえず3軒回って了承を貰う。ほっとステイも6年間も受け入れをしてきていますので、どの家庭も要領を心得ているので前向きにとらえてくれ、受け入れ側としても非常にやりやすくて助かります。

宮坂さん宅ではお正月の残りものだと言われてお茶を頂く。山ウドの煮物、ゼンマイの煮物、大根の酢漬け、花豆の煮豆、キノコとニンジンの煮物。これが田舎ですね。御馳走様でした。

午後1時30分に市役所の中澤商工部長や課長等と上田城観光会館横の空き店舗の売却の件で話し合い。市側が取得したいとの方向で所有権者と話し合いを持つことになった。

「日本観郷ウォーク協会」の立ち上げについて、上田市の積極的参加を依頼し昨年末には市長と話をして協力を約束してもらったが、設立総会を計画したいのでさらに副市長と話をする機会を作ってほしいとお願いする。重要案件が山積しているが時間を作ってもらえることになった。

主目的の用件を済ませ、これからの観光行政へのかかわり方の話が出て、国際観光に於ける『ほっとステイ』の担える役割で、教育委員会と連携をして、学校訪問での学校間交流の受け入れを大いにやりますと、県へ提案していきましょうと提言。

さらに当地の上田市をアピールする為に、『上だ人宣言』なるものをしたらどうですかと、「おもてなし」を含めて市民意識の高揚を図り、経済活動や活性化活動に反映させて、来訪者の評価に繋がる地域を目指す方向宣言の展開すれば、結果がついてくるのではないですかねとも提案。面白いですねと返答される。

今週の11日(金)に、冬では初めて「ほっとステイ」の受け入れをします。過去6年間では春や夏秋は受け入れしたことはありますが、今回まではなかったことです。家庭もお雑煮を一緒に作って食べようと楽しみにしています。

このあと1月30日と、2月11・12日の両日、中国の子供たちの「ほっとステイ」があります。いずれも自然体での受け入れですが、来訪者の評価は高いようで今後が楽しみです。

2008年1月 6日

●寒晒し順調

8時に大高木さんと余里の寒晒し施設へ出かけ、今日行う事前作業として排水パンフを外し、排水を行う。帰宅し取り出しや仕込みの資材を準備し、9時30分に他のメンバーもやってきて玄蕎麦2300Kgを軽トラックへ詰め込み、寒晒し施設へ出かける。10時到着(作業終了は15時30分だった)。

今日は総勢15名で、純米酒の方は籾の取り出し作業と脱水するための小分け作業と脱水後、乾燥させるハウスへ運び展開する仕事。そば焼酎の方は玄蕎麦を紙袋から小袋に詰めなおしてタンクに積み、掛け樋に水を掛ける。大仕事の一日でした。

丸子テレビの取材が11時ぐらいから有りメンバーも激写されていたが、誰も気にして避ける余裕がない位の忙しさ。良い画像が撮れたと思います。水曜日には放映される予定だそうです。

『今年のせいしゅん村はどうですか』とインタビューを受け、『ますます忙しくなって、大事な一年になると思います。各地域のやる気のある人が集まって取り組んでいますので楽しみですね』と答えると、『どうして広がったのですか、どこが違うのですか』と再度問われ、『やれる人がやるしかないと気が付き、やりだしている活動ですから動くのでしょうね』と答える。

2008年1月 5日

●ようやく初詣

初詣に行ってきました。上田の「生島足島神社」へ。 毎年元日に詣でているお宮ですが、今年は今日になりました。いつものような待ち時間がなく、無事終えてきました。

昨年のNHK大河ドラマで放映された『風林火山』で紹介されていましたが、甲斐の国の武田信玄が必勝祈願して、起請文を奉納して有る有名なお宮です。私の家から20分ほどのところにあります。

このお宮さんは私たちの「信州桃源郷街道」でもマップの中で紹介していますが、様々な地域活性化活動に繋がる取り組みをしています。昨年も上条恒彦さんや木の実ナナさんのミュージカルをやりました。

ご神体は社の中の中央の大地です。日本中でも珍しい神社だそうです。このあたりに来る人はぜひ寄ってみて下さい。

帰りに明日の『寒晒し』作業の資材を買っていると、地元の有線テレビが取材に来ると言ってきてくれた。ありがとうございます。今年もお世話になります。

2008年1月 4日

●近いうちに一杯やろうな

朝、親父さんの車で昨日やって来たおじさんを丸子へ送っていく。午前中は頂いた年賀状の整理と礼状を書く。郵便局へ出しに行ったら同級生夫婦が椅子に座っていた。(この家の田圃を借りて『寒晒し純米酒、the幸村』のお米を作っています)

私は新年のあいさつをしてから『どうしたの。誰が保証人になるの?』『何言うだ、近いうちに一杯やろう』。『OK、今週中にやろうな』。

14時頃、大高木さんがきて今度の日曜日に行われる「寒晒し作業」の手順を打ち合わせ。帰ったら今度はおじさん夫婦が年始に来てくれた。

お正月だもの人は来ますし、普段できないことがたくさんあって忙しいな。

2008年1月 3日

●正月三が日は忙しかった

忙しい正月三が日だった。
箱根駅伝を見ながら、NHK教育テレビの「メジャー」を見て、年賀状を書く。

箱根駅伝で途中棄権をした学校は気の毒としか言いようがないが、毎日30㎞も走りこんで体力を養っていても当日のコンデションで脱水状態や低血糖症状を引き起こしてしまう。身体が追い込まれると怖いことですね。

メジャー・・・人気のあるアニメーションです。8時30分からお昼まで見たが、目標を持って生きるドラマを、今の子供たちが理解してほしいですね。子供たちに人気があるということは、理解されていると言うことでしょうが。苦労は何ともない、これが自分を鍛えてくれる、と言われる昔流行ったスポーツ根性物語ですが、こんな生き方があることを伝える事がありますか。ほっとステイではこんな話題が沢山有るようですよ。

年賀状は苦戦しています。

2008年1月 2日

●快晴です

氷点下8度。快晴ですが「寒晒し作業施設」が心配になって余里へ出かける。「稀酒・寒晒し」「寒晒し蕎麦」を作るべく仕込んでいる施設で、外気温が下がると水路が凍ってしまい、通水がしなくなってしまうので見に行ったが大丈夫だった。

テレビでマンモスの子供が丸ビルで公開されたと報道され、来ていた人へのインタビューで『綺麗ですね』と答えていた。

展示しているところに『地球温暖化の影響で永久凍土が解けてきて見つかった。人間の活動の影響です。注意深く生活し、地球環境を守りましょう』と注意を促しているだろうか?

私たちの寒晒し作業も凍結しなければ楽ですが、反面心配になりますね。

2008年1月 1日

●明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。
爽やかな日差しを浴びて新年を迎えました。

次男が元旦から出勤となり、朝6時30分に家を出て勤めに出て行き、そのお付き合いで例年の大晦日の晩は深夜まで起きていて、元旦は朝寝坊をしていたのに今年は早起きし、長男夫婦が今日お昼を食べてから帰る予定で、日中にお土産として10割蕎麦を打ち、持ち帰って貰う予定をしていたので、それを打ちました。

打ち終わりになってきたときに、東の窓から朝日が差してきました。

大晦日は各地で冬の低気圧の影響が出て、広島県三次市では大雪になっていたり、この近くの白樺湖では30センチも降ったと聞きましたが、年末からほとんど降らず、この地は穏やかな新年を迎えたのです。

見事な日差しが差し込んできてくれ、久し振りに太陽の恵みにウットリしてしばらく見入り、そして考えてしまいました。

地球温暖化の影響が地球の将来に暗い影を落としていると気付き始めた人々が、何とかしなければいけないと行動に移し始め、それが声高に叫ばれ始め、今年はそれがどしどしと実行に移されるでしょう。

私たちが今取り組んでいる「ほっとステイ」「観郷ウォーク」や「桃源郷街道」の訴えが、より理解される年になって行くと思われます。

大事な一年が始まります。(おひさまが教えて呉れた?)

寒いそば打ち場の作業を30分で終えて、台所の薪ストーブのガラス越しの火にかざし、冷めた手を温めていて揺らぐ炎に見入っていて、メラメラと燃え上がる様を見て又気がつきました。少しずつ燃え上っていくものだと。そして大きな炎となって燃え盛って行くものだと。

今年も頑張りますので、
皆様ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。